お盆ってなんでしょうか。辞書で調べると「盂蘭盆会」のこととあります。サンスクリット語のullambana(ウランバナ)を漢字に音写したものだそうです。旧暦の7月15日(新暦の8月中旬)に、先祖の霊を供養し、倒懸(とうけん)の苦しみから救うという行事です。倒懸とは地獄での逆さづりです。こわいですね。ご先祖さまが一年中逆さづりにされているなら、ぜひ救いたいものです。この行事の由来には、お釈迦様が「その時期(安居)に供物をささげて供養すればよい」と言われたとか、「その時期に比丘たちに水や食べ物の施しをすれば、餓鬼道に落ちたものにもその一端が口に入る」と言われたという施餓鬼のエピソードがあります。その後、インドから中国を経て日本に伝わるあいだに、中元(7月15日)の供え物などの様々な風習が混ざり合い、現在のスタイルが出来上がってきたのです。現在の日本的なお盆では、どこでそううなったのか、先祖の霊が家に帰ってくる時期ですね。ふと、家に帰ってくるのにどうしてわざわざお墓参りに行くのだろうと不思議に思って調べると、お墓に出迎えるために行くのだということがわかりました。なるほど、お墓まで出迎えて、家で供物をあげ、僧侶にお経を読んでもらい、お見送りするという一連のストーリーがあるのですね。お恥ずかしいかぎりですが、そんな基本的なことも知りませんでした。では、お盆以外の時期に、仏壇に手を合わせるのは無駄なことだったのでしょうか。だってお盆以外は先祖の霊は家にいないんでしょ。なんだか複雑な心境です。夏の風物詩の盆踊りは、少しのあいだ地獄の苦しみから逃れられた亡者たちが喜び踊るさまを模したものと言われるそうです。楽しい盆踊りですが、意外とおそろしいさまを表していたのですね。こうして由来を理解すると、お盆も時代によって変化してきた単なる慣習なんだということがあらためてわかります。お墓のありかたと同じく、お盆にも、仏教的脅迫による「こうでなければならない」というものは、本来ないのです。お盆のしきたりと称して、寺院へ読経を依頼しないといけないとか、一日中灯明を絶やしてはいけないとか、供えものは一日三回変えなければならないとかいうことはないのです。50%以上の日本人が無宗教の葬式を望む時代ですから、これからのお盆を頭のなかで再定義してみるのもいいかもしれませんね。現代の私たちにとって、お盆とは帰省のための休日がもらえる時期であり、親戚一同が集うよい機会でもあります。ですから、お盆は「先祖のことに思いをめぐらす時期」であればよいのだと思います。奇しくも、8月15日は終戦記念日であり、死者のことを考えることが定められているのですから。
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