日本まつりぬし協会特別事業
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Archives of activity reports of Matsurinushi

活動する<まつりぬし>の記録

各地で活動している<まつりぬし>の
これまでの活動報告をまとめています

  • Vol.8

    東京23区の火葬場 現場からの報告NO2
    町屋斎場編(外資系)

    前回に続き 今回は、外資系(中国)運営の町屋斎場のからの報告です
    町屋斎場は、荒川区にある斎場です。荒川区には、江戸時代からの小塚原刑場跡があり20万人余りの人々がここで処刑された歴史があります。

    6月8日(日)
    外資資本(中国)が入っている斎場で、どのようにしたらよいか?考えながら歩いていた時に
    「何人たりとも、この地より逃がさん」
    「この地を汚すものどものやからを見届けよ」
    と地主(チノアルジ)さんのような男の方の声を感じました。

    6月9日(月)
    精神学協会の会長に電話をして今までのいきさつを話し、弟と町屋斎場を訪れることにしました。
    町屋斎場には、夕方4時ごろ着いたので、お通夜の遺体が運ばれる時間帯でした。
    目の前の駐車場に車を止めて斎場の回りを歩こうと門の前に立ったのですが、目がチカチカして
    開けていられない程の悪性波動(地獄の波動?)がひどくやっとの思いで回りを1周しました。
    途中「違いがわかったか?」のことばが...
    瑞江の斎場とかなり違います。中国資本が入っている影響なのか?土地の持つ波動なのか?
    その場には、いられないほどだったので、とりあえず帰ることにしました。

    帰ってから、浄化上昇
    首を絞められるような感じがして、頭のない人、首吊りの輪のようなビジョンが見えたので
    「何故、殺されたのか?」尋ねると
    「罪を犯した者もいるが、罪に落とされて殺されたものもいる」男の方のことば
    再度浄化上昇
    「私たちは、この土地を守ってきたものたちです
    こんなにも、こんなにも、この土地を汚され、出ることができないのです。
    はるか昔、私たちは、この地を守ってきたものです。
    何故にこんなにも、土地が汚されてしまったのか?
    地の悲しみは、皆様方の心にもつながり、徐々に徐々にマイナスの波動と繋がってゆくものです。
    土地を目覚めさせてください。それが今のまつりぬしの仕事です。
    地の穢れは、川の穢れ、水の穢れにもつながり、悪性波動のよりどころとなります。」(女の方)


    再度浄化上昇

    「う~~~」何か出てきて「地よりいでし者どもの・・・・」途中で途切れてしまいました。
    結界が切れ地獄から出て来たものどもや閉ざされた方々の声だったのでしょうか?

    6月12日の光文書で、この世で生きた人間のたましいは、ひとつの場に移行(シンレイカイ)し
    本当の意味での最後の審判の用意が整いましたとあります。
    そういう意味では、「何人たりとも、この地より逃がさん」なのでしょう。

    ●このようなインスタグラムがみつかりました。
    東京の火葬場を中国が買い占めたヤバい理由が発覚
    https://www.instagram.com/reel/DKCumAnSW1W/?igsh=MTZweHg4ZmduaTFmMw==

    Vol.8
  • Vol.7

    東京23区の火葬場 現場からの報告No.1
    瑞江斎場編(公営)

    6月の初旬に、精神学協会の会長から「東京の斎場に行っておいで」と課題が渡されました。
    都内23区には、公営2か所(瑞江、臨海斎場)
    外国資本(株式会社広済堂ホールディングス)博善社経営6か所(町屋、落合、代々幡、四ツ木、桐ケ谷、堀之内斎場)があります。
    東京都の火葬場が4年ほど前から外国資本(中国)に渡り、日本の伝統的死生観を持つ斎場が外国資本によるマネー主義のビジネスに変えられ、危機にさらされています。また、正しくまつられていない魂は今もこの地に溜まり、声なき声をあげ、日本人の葬儀の在り方が問われています。
    行くにあたり、都内の火葬場事情を調べてみると様々な問題があり、現状は厳しく、都内だけでなく外国資本の息は全国にも広がっていることがわかりました。知らないことの恐ろしさを改めて認識すると共に、結界が切れ、生きている人とシンレイカイの境目がなくなり、地獄に落ちたものたちの霊が、かなり地上に出てきてその土地で暮らす私たちの生活に悪影響を及ぼしていることがわかりました。

    今回は、まつりぬしとして、公営(瑞江斎場)と外国資本の(町屋斎場)の波動の違いを確認してまいりました。
    公営(瑞江斎場)6月7日(土)
    この何日か、ネットで斎場情報を検索。
    昨日、スジ雲が出ていたので空を見上げていたら「私たちは待っています」と(いつもお力添えをいただく女の方)の声を感じたので、一番行きやすい都営の瑞江斎場(火葬場)に行ってみることにしました。
    何をしたら良いのか?祈れる場所はあるのか?
    とりあえず、会長の教えの「現場に行けばわかる」を頼りに行ってみることに・・・
    前もって調べてみると、ここは敷地の外周りに道が在り、1周できそうなことと敷地内に児童公園があることがわかり、到着後、とりあえず1周してみることにします。
    入り口の門から200メートルぐらい歩いたところに、児童公園があり、入るとたくさんの鳥のさえずりが聞こえました。
    「ここで良いですよ」と女の方の声を感じる・・・
    それでも、残りの道を歩き、1周して門の中に入ってみると庭園があり、この場を守っているような大きな樹が何本かありました。
    斎場の中は、改装工事の為入場が制限されていたので、先ほどの公園の敷地へ戻ります。
    公園はちょうど焼き場の裏手にありその後ろのベンチに腰掛けて祈ることにします。
    鳥のさえずりを感じながら、いのり祝詞を上げ20分ほどしたところで
    「確かに 引き受けました どうぞご安心ください」と女の方の声を感じました。
    ホッとして目の前の電線を見上げると鳥が飛んできて、何羽も並びました。
    帰りがけ、調べていた時に気になった豊田神社の方向がわかり訪ねてみることにしました。
    祭神 天照御大神 経津主の命
    富士塚がある小さな神社でしたが、心地よい風が吹いていてここでも鳥が飛んできてくれました。
    しばらく休んで帰ろうとしたときに
    「みどりごのはえ(映 映えて栄)ある一日 終わりけれ」のお言葉があり感謝と共に帰途に就きました。

    ●このようなインスタグラムがみつかりました。
    東京の火葬場を中国が買い占めたヤバい理由が発覚
    https://www.instagram.com/reel/DKCumAnSW1W/?igsh=MTZweHg4ZmduaTFmMw==

    Vol.7
  • Vol.6

    〈まつりぬし〉の海洋散骨式
     光への導き(儀の完結)

    日本晴れの今年4月、広島の瀬戸内の海にて、海洋散骨(散骨式)を執り行いました。 前号に記載した、東京のNさんの続編です。

    前日より広島入りした私たちは、入念な事前打合せを済ませ、KISEKIセカンド号のデッキにて、明日の散骨式が、滞りなく執り行われるのを祈念し、ささやかな宴をはじめた頃は、ヨットハーバーの灯りも映える、夜の帳に包まれていました。 深夜、ふと目を覚ました私は、デッキ越しに煌めく満天の星々を眺めていると、夜のしじまの饒舌さに癒され、本日の海洋散骨式の成就を確信した瞬間でした。

    午前10時、待ち合わせのホテルへNさん御一行様を迎えに上がり。KISEKIセカンド号へお送りします。無事乗船を済ませたNさん御一行に向かい、アテンダントの守本さん(マツリヌシ)が、諸注意事項並びに散骨海域の説明を丁寧かつ饒舌にアナウンスされました。 航行して約40分、所定の海域に到着したころ、散骨式の準備を手慣れた手つきで守本さんが熟します。準備が整い私が紹介されました。

    散骨式の初めに、マツリヌシによる献水を停船した海域に撒き清めます。 そして、散骨の送りのみことばを捧げます。 続いて、ご親族による散骨並びに献花、献酒と続き、各々が海域に手を合わせ、感謝の御心を捧げます。停船すること約30分、送り船はそれを見届けながら、散骨をした海域をゆっくりと回遊します。

    式も滞りなく済み、送り船は、家族との別れを惜しみながら帰途につきます。そして寄港へ。 『死は終わりではない』そんな言葉が皆様の心に宿るような体験をしていただける…と、守本さんがスピーチをしている、瀬戸内の空に、旭日旗にある光の波状が雲となって、大空にたなびくのでした。

    マツリヌシによる海洋散骨式、それは大海原を祭壇とした、雄大で荘厳な美しさが、見るものの心を掴む、それが正に、『死は終わりではない』と、天から問いかけられているような……♪ そんな散骨式でした。

    Vol.6
  • Vol.5

    〈まつりぬし〉のお別れ式
     光への送り(儀の完結)

    昨年の十一月上旬、東京都在住Nさんの、ご母堂様が、ご逝去されました。 ご縁ありて、私の元に『光への送りの儀』の、ご指名を賜りました。 大阪市の、閑静な住宅街に佇む高層マンションの一室が、ご母堂様の住まいです。

    お別れ式は、喪主(Nさん)により、大阪市内の家族葬向け祭場にて執り行いました。
    ご母堂様が眠る棺の上に、『命の書』を置き、光への送り並びにお別れ式が徐に執り行われます。
    参列の皆様に向け、故人(ご母堂様)の生前の華々しい経歴をご紹介します。
    そして、光への送りの儀を執り行うマツリヌシ(私し)の挨拶を、僭越ながらさせて頂き故人様への、いのりのみことばを捧げます。

    つぎに、はなむけのことばを捧げます。これは、故人様への、呼びかけのことばであり、送りの合図ともなるべきものを示す儀式です。
    続いて、一般的な儀礼に習い、弔辞、弔電、献花、焼香、参列者ひとりひとりのいのりもここでします。この度の儀礼では、ご焼香ではなく、生きたお花をたむけました。

    終わりのあいさつということで、精神学の基礎とも言うべく、最終知識の書物の中の、一節をお伝えいたしました。それは、神様世界でのお話ですが『役割を終えたものは、去るのが正しい』と言うことばを述べ、人もまた役割を終えた時、正しく生きた人は、正しい形でこの世を去られるのでございます。それで、私が見るところの故人様は、正にこの様に去られたのだと思います。と述べて締めくくりました。

    最後は、喪主様による、ごあいさつで、このお別れ式並びに『光りへの送り』を、終へるのですが、今一度、故人様との最後のお別れとして献花をたむけ、『命の書』『最終知識』入れて棺の蓋を閉じるのでした。
    その後は、ご遺族様と共に、火葬場に移動しました。
    火葬場でも、いのりのみことばを捧げました。

    『光りへの送り』その儀の完結という責務も担っていましたので、その日は終始緊張に次ぐ緊張の一日でありました。

    Vol.5
  • Vol.4

    20日後に見つかった孤独死の部屋
    <まつりぬし>にしか出来なかった遺品整理 その4

    ご遺族より、正式に遺品整理のご依頼を受け、現地に赴きました。 夏の炎天下に孤独死され、二十日間ご遺体が放置されていた部屋の遺品整理は、これが初めてでした。四階建てのアパートの2階が故人の部屋です。

    アパートの前に立つだけで、鼻を突く腐敗臭が放っていました。 部屋に入った私たちは、この惨状に驚愕するのでした。
    同行した特殊洗浄業者が、直ちに殺菌消毒並びに除菌・消臭を施さないと、遺品整理は困難ですよ、と言われ、五日間に及ぶ作業の後、遺品整理に入りました。

    マツリヌシとして、故人の『命の書』への登録は元より、注意事項等を入念に打合せし、『守護札』を携帯して、部屋の扉にイコンシールを貼り入場しました。
    私を含め、四名のマツリヌシによる遺品整理?ならぬ生活ごみの分別回収から取り掛る始末です。分別品は見る見るうちに軽トラック2台分をいっぱいにしました。
    事前に連絡してあった応援要員(特殊洗浄業者)が加わるのを待つこともなく、一旦現場を離れ、ごみ収集場に向かいました。

    作業も捗ると思うや否や、収集場から帰ってきた私の目の前には、応援要員の3名が緊急避難?その内の1名はマツリヌシにより介抱されている有様でした。その様子を見兼ねたご近所様からは冷たい飲み物と、日陰の場所を用意していただいたので、一旦休憩を入れることにしました。
    その後、生活ごみの搬出を終え、ようやく導線も確保され遺品の持ち出しが可能になりました。七割片、片付けが完了したこところで初日の作業を終えました。所要4時間を費やしました。

    翌日は、約3時間程で作業を終了しました。三日目に総仕上げをして、最後に故人が絶命した場所の拭き上げをし、その場所をSEKI塩で清め、手を合わせ『○○様が光に導かれますように』と祈りを捧げ、部屋を後にしました。

    この度の遺品整理では、入念な打合せをして挑んだにもかかわらず、私の不徳の致すところにより、3名に危害が及んだことを猛省いたしました。それは『守護札』を渡すのを忘れていたことが原因でした。

    現代の風潮において、孤独死とは、他人事ではないことを痛感しました。
    一人死時代の終活サポートは急務です。それも業務の一端として邁進するのもマツリヌの役割であり、志事なのです。

    Vol.4
  • Vol.3

    20日後に見つかった孤独死の部屋
    <まつりぬし>にしか出来なかった遺品整理 その3

    遺族の話によれば、警察署に安置されていたご遺体は、霊柩車で火葬場入りして荼毘にふし、御遺骨は、親族の住む東京の霊園に安置するとの事でした。
    近年では、直葬(ちょくそう)と言って、火葬だけを執り行い葬るというケースが急増しています。時代の変化並びに孤独死の急増も相まって、宗教儀式も執らず、親戚等の弔問を受けることなく、しめやかに家族だけで弔う、葬送スタイルを否定するつもりはありませんが、 何故か腑に落ちず、違和感を持ちました。
    そこで私は喪主にこう告げました。『慚愧の念を持っているだろう故人にむけて、私が学んだ儀礼をもってお送りしたいのですが』と伝えました。
    するとご親族は、深々と頭を下げ、快く快諾してくれました。

    直葬の早朝、事務所で『光への送り』のテキストを参考に、故人にむけた儀礼文を作成し、一行一行を食い入るように目を通し、何回も読み返しました。

    約束の時間前にもかかわらず、親族は火葬場の正面玄関で、私の到着を待っていました。 館内は火葬の順番まちで、ほぼ満席状態。腰掛ける椅子もなく、棺が到着するのを立って待つのでした。火葬場には何度か足を運んでいますが、満席の館内を見たのは、この時が初めてでした。
    そして棺が到着し、私達は待合室に即、案内されました。
    通常ならこの待合室で、親族は故人との最後のお別れをするのですが、棺の蓋が開くことはありませんでした。
    早々に、あいさつしてから、簡単な故人の紹介、そして、はなむけの儀を終えたところで、出棺の準備が整い、そこでさいごに いのりのことばを となえて お見送りをしました。

    余談ですが、『光への送り』故人向けへの儀礼文作成中、終始背中に悪寒を感じていました。多分ですが、故人が私に折り重なり、私の目を通して『光への送り』を食い入るように確認していたのだと思いました。
    文章を書き終えたら、背中が楽になったのを覚えています。

    Vol.3