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Archives of activity reports of Matsurinushi

活動する<まつりぬし>の記録

各地で活動している<まつりぬし>の
これまでの活動報告をまとめています

  • Vol38

    <陸軍造兵廠跡の水の祟りの報告>


    今回このようなご報告をしたためるに至ったのは、水神の祟りが連続していたことが背景にありました。

    「神の祟りがこの2026年の6月より日本で始まる」

    その情報が神界からもたらされて数週間。日本人の潜在意識に昇ってきたのか、最初に「伏見稲荷の祟り」に対する畏怖が、5月にはSNS上で広まりました。これは、伏見稲荷が動いて翌月の祟りの始まりについて示唆をしたということです。
    そんな中、「井戸の祟りも怖い」という話が続いて「伏見稲荷の祟り」という話題への反応として出てきました。水神たちが動き始めてそういう流れになったのであろうと今なら分かります。そこから、総会を控えたまつりぬし協会に、次々に水の祟りの情報が舞い込み始めました。精神学協会にも、それぞれ全く関係もないところから連続して数件。私のところでも知っている限り2件。

    なんとかお祀りしなければならないなと思っていたところ、別件でまたしても水の祟りが出ます。
    それは、長らく土地の建物の建て替えをしようとしていたものの、何度も土地の波動が悪化して、清め直さなければならなかった土地でした。結局建て変わっても、少し思っていたのと違う作りになってしまったという、そんなに曰くがあるところだろうか?と皆が首を傾げる場所だったのですが、それと関係があるのかないのか、地図を見ていた私は、建物の裏手の駐車場あたりに奇妙なエネルギーの反応があることを見つけました。
    後日、分かったのですが、そこは昔、小さな池が埋め立てられた土地だったのです。
    大変な祟りの波動が出ていたので、まつりぬしの若﨑さんたちが塩と水を持ち出して、その池跡の駐車場のまつりと清めを行い、なんとか祟りは収まりました。

    その同日に、私は他の会員さんから、「大阪の鬼門が気になって仕方がなくて調べていた。北東の枚方市の市駅付近には陸軍工廠があったみたいで、そこに何か存在している気がする…」と言われて、工廠の存在を思い出しました。正確には、陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所というそうです。

    先の大戦中、大阪ではいくつもの軍需工場が稼働していました。
    戦時の陸軍の工廠が私の生まれ育った地域である枚方市にもいくつもあり、その跡には大学や学校が建っています。
    私自身、6年間通った地域の小学校は工廠のあったエリアに建てられていて、戦争の記憶からか、子ども達のあいだではまことしやかに「向かいの公園の裏山には戦時に死んだ軍人の幽霊が出る」と囁かれていたものです。
    そのせいか、青年期に至るまで、よく兵士たちの影のような気配に夢うつつに悩まされる夜が多かったように思います。寝ている寝床の上を、あのカーキの戦闘服を着た霊達が少し浮き上がったところを歩いていく、そんなビジョンが何度も瞼の裏を過ぎりました。直接その兵士たちと関わる場所にいた覚えがあまりないので、思いを馳せたりしたことで、何か繋がるところがあったのかもしれません。

    余談ながら、精神学協会の積会長から、「たぶん、今の神に関わる人間は、戦争の記憶を持つ場所に縁をもって育てられるんじゃない。私も巣鴨プリズンで育ったし」ということを聞いて、そんなものなのかなぁと思った記憶があります。

    ネットで調べると、そのエリアの解説地図があったので、地図上を探査したところ、「殉職義烈之碑」と書いてあるところに強いエネルギーの反応がありました。

    枚方市の子どもなら歴史でちらりと学ぶのですが、枚方市には戦時中に起きた痛ましい戦災事故の記憶があります。工廠で作られた弾薬を備蓄しておく禁野という町の火薬庫で、昭和14年(1939年)3月1日、爆破事故が起きたのです。29回にも及ぶ大爆発が起き、死傷者700人余り、火災の被害を受けた家屋は800戸を超え、約4,400世帯が避難を余儀なくされた大惨事でした。この事故で亡くなられた製造所の方の霊を慰めるシンボルとして、翌年の昭和15年3月1日、「殉職義烈之碑」が慰霊碑として建てられたのです。

    ▲京阪国道を逃げる住民
    https://www.shoai.ne.jp/hirakata-s/newhirakata-f04/


    ※ですが、どうやら、犠牲者の霊は未だにそこに留まっているようです。

    そのうち様子を見に行かなければと思っていた私は、翌日、お昼休みに昼食を買いにパン屋に行こうとして、意図せず右手の小指を店舗のドアに挟んでしまい、軽く怪我をしました。
    その小指からは、別件でやってきた会長が顔をしかめるほど強烈なエネルギーが発されていました。

    波動探査を行うと、おそらくその禁野の事故で出た死者たちから、やまとうたが届いていました。

    やまのべの散華(さんげ)の火のともしび(灯)に
    ひ かけ ましても おおとりの
    やま しに いかけて はつしもも
    おきしもせずの みの おとし
    かき(火気)も えひ(酔ひ)も さよふけて
    あはで みつぐの すぐしてよとや

    <忌火(いみび)のひとびと>
    2026年6月2日 16時01分 受信


    AIに解釈を手伝ってもらったところ、「一瞬にして激しい炎(火気)に包まれ、無念のまま命を落とした(散華した)人々が、時を経てなお、その魂の熱を鎮め、静かな夜(平穏)へと移行したがっている」というように読めるようで、どうやら、あまり待ってはいられない、という雰囲気でした。

    そこには、慰霊碑を建てられても、実際には霊が浮かばれていない、という、深刻な事実があります。

    そのうたの意味が分かった時に、波動探査の紙面と小指から出てくるエネルギーは霧散して消えていました。

    その日の夜、小指の怪我の調子はどうかと、別の友人の会員Mさんから私を案じて連絡があり、慰霊碑の話をしていると、「どうやらその霊たちがいくらかこちらに来たかもしれない」という話になりました。
    私も精神界で後ろを振り向くと、大人も子供も暗がりの中、こちらを見ていて、「助けてください」とはっきりと声がしました。話をしていたら、現地の霊の人たちに繋がってしまったようです。
    清めのための塩とお水を持って、現地に行くのも間に合わないかもしれない…と、せめてもと、遠隔で精神界でまつりぬしができるかどうか、Mさんと二人、ダメもとで挑戦することにしました。

    精神界で慰霊碑の前に立ち、伏して神さま方にまつりと霊上げへのご助力を請うと、地津神の国主さまと知主さまに加えて、宇津神の結姫さまがいらっしゃいました。
    慰霊碑の土地の四隅に塩を置きおえると、これを使いなさい、と結姫さまから瓶に入った御神酒をいただいたので、それをまきました。
    その地が光に結ばれますようにと祈り、ぐるぐると回って清めていると、光の柱が立って、人々が我先にと「ありがとう、ありがとう」と言いながら、その光のはしごに駆け寄り、シンレイカイへと去っていきました。
    Mさんの方でも4、50人は上がっていったということで、慰霊碑の写真を見ると、もう、マイナスのエネルギーは出ていませんでした。

    写真を見ていると、「なんだか下の方にずいぶんと深い広がりを感じる」とMさんが言うので、まだ、何か深い根は残っているようですが、これで一件落着…かに思えたその時、枚方陸軍工廠のエリアの解説地図に、それまで全くなかった別の反応が現れました。

    中宮浄水場、と書かれているその文字からは、明らかに祟りの波動が出ていました。

    結局、ここにも別の水の祟りが隠れていたのです。死者のエネルギーが取り払われて、初めてその問題があると露わになり、6月1日に情報をくれた会員さんと、その話が繋がっていたことが分かったのでした。

    そして、Mさんが祟りの存在を感知した瞬間、右肩に激痛を訴え、お腹もおかしい、と体調に異変を生じて訴えました。

    祟りのエネルギーに意識を向けていると、「(浄水場を開いたことに対して)挨拶がない」と怒りの声が聞こえました。
    それで合点がいきました。
    水神さんは地域の水を守っておられる神さまです。水を引き入れて生活用水に利用する浄水場は、いわば現代の大きな井戸のようなものとして、水神さんたちはみなしておられるのだと分かりました。

    大してご挨拶のお供えもない非礼をお詫びしつつ、地域で生まれ育った者として、同胞が大変失礼をしたことを水神さんにお詫び申し上げ、改めて枚方市の市民の皆様のため、お水をいただけますように、とお願いいたしました。仕方のない状況であったのもあり、それでひとまずお怒りを解いていただけたようで、Mさんも無事に体調が戻ったのでした。

    その翌朝、積会長に事の顛末を報告していた折に、再び何か伝えたいことがあったようで、受けた通信が以下の通りでした。


    水のまつりについて軽々しく考えて扱う者が多すぎる
    この者がいなければ、この水場が地域の者にいかなる影響を
    与え得るかをも考えてもおらぬようだ
    水の神を怒らせれば この地域が衰退の一途をたどっても
    不思議ではないものを
    この地と人を結ぶまつりを成し得る人材がもはや指で
    数えるほどしかおらぬ
    この現況を現世(うつせ)の人々はいかんとせむ心持ちなのだろうか
    神の怒りにすがる先もなくした者どもが いったい何をもって
    神の怒りを鎮めるのか
    この国の先が思いやられるものよなぁ

    2026年6月3日 10:29 受信 〈川瀬の水神〉


    水の祟りは、6月7日より本格的に始まるようです。
    みなさまも、お水のおまつりについて、これからこういった案件が増えてくる可能性がございます。
    水神さんたちと地域の水に関わる活動へのご対応には、十分にご注意いただけますと幸いです。

    追伸

    その後、慰霊碑で上げた霊からの通信が届きました。

    2026年6月3日13時08分~

    いと み たかきたる ひ(光)の柱より
    ひ の やはらぎ うけたまひて
    かみの みちひきたる このすゑのよに
    みたび ありける みの つかゑし このかたに
    やがて あましる このちのみち
    かたみ ひきても うへしるものを
    現世身(うつせみ) はてても ひかしむる みち

    <光(ひ)の轍の人々>


    <陸軍造兵廠跡の水の祟りの報告> 補足


    2026年6月3日15時35分~

    ゆきとて みえねど このしらの
    おきせし しらぎく ゆきせりの
    あめのぼらいとて かむさりぬ
    ひ たか の ゆうべに なぞらへて
    はたとせ みくに(つ?)の ゆふべにも
    かみとて みたり はべのくになり

    <やまのべのひと>

    (かんことゆきとて
    いくとせの し ふりつもりたる
    ふきのみち)

    水の利の咎※
    受けて 我ら 火の罰を受けしと
    知るなり

    やまとがわ
    よどがわ みな この水神のもとにありて
    大坂の水をとりまとむる 川瀬の大水神ありて
    大坂は皆火の禍にあひて焼き出さしむる
    惨禍となれり

    ※枚方製造所ができたのは昭和13(1938)年1月10日。その翌月に今の中宮浄水場の前身となる送水設備の工事を開始しています。禁野火薬庫の爆発事故が起きたのはそのおよそ1年後の昭和14(1939)年3月1日です。川瀬の水神は人間の勝手をよほど許さなかったようです。なぜ、慰霊碑の処理のあとに水の祟りが出てきたかの理由もここにあるようです。

    知主さんから聞いたお話

    水無神は水主神
    水の分け目にいて水分(みくまり)を司る
    大水神の一人だね
    東と西の水神がいるけど、これはぎりぎり西、ただしほぼ中央の山に属しているので、日本の東西の水分にも関わる巨大な水系の繋がりを指揮する神さまで、
    田畑の出来高も左右するほどの水の利権はこの水分の神がにぎっている
    一番縁深いのは保食(うけもち)の神としてウカノミタマ(伏見稲荷)じゃないかなぁ


    この話で合点がいったのは、なぜ祟りの話で、伏見稲荷と井戸(水神)の祟りが、連続して日本の5月のSNSという意識の場、サイバー空間で話題に上ったかです。
    一連の祟りの騒動と影響はまだ続いていますが、水分の神と伏見稲荷が連携して、祟りの準備に取りかかって動いたことがうかがえます。

    なお、禁野火薬庫の爆発事故のみならず、大阪空襲をも利用して大阪に祟りを起こしたことが示唆されている川瀬の大水神は、この水主神よりは位が低く、さらに今回お参りする水主神の特異性が際立ちます。



    WAKASAKIさんへ、水神様からのメッセージが届けられました。


    2026年6月3日 8:08
    水神様 祝詞

    新しき光の法(のり)の
    清き流れ

    澄み渡りたる
    天地(アメツチ)の結びに
    ととのえんとすることのよしを
    かしこみかしこみ申す

    おおみからだの
    息吹に おわします
    穢れ はらいひて

    地の氣の 清らに流るるを
    瑞々しきに ととのえたまひて
    天の日(火)を ゆたかにうけて
    日(火 光)と水の結びの
    カミアワセ

    水の神の
    うけひきたまうるを
    もちて
    地の栄え
    生命の栄え
    成り立ちて

    人たる身の カミアワセ
    水の神の 思召しを 賜りて
    新しき日(光)と水の 
    かみ合わせを
    うましめんと 
    することの よしを
    きこしめして

    水の神の儀を 
    つつしみて 
    執り行わせたまへ

    かむながら 
    たま ちはえませ
    かむながら 
    たま ちはえませ

    ●これまでの活動報告はHP:まつりぬしの活動報告 https://matsurinushi.com/category/report/ にてご覧いただけます。

    の報告:
    Vol38
  • Vol37

    命の書への登録

    和歌山県紀の川市貴志川にあるカフェ:風の森の駐車場奥に「光の丘」という癒しの小屋があります。
    そこでは、月に一度の「命の教室」、そして月に二度の「癒しの時間」が開かれています。
    「命の教室」では、主催の高田弘子さんがこれまで歩んできた体験を織り交ぜながら、命の書・浄化と上昇・最終知識・光文書を通して得た深い学びを語るワークショップを開いています。

    参加者の皆さんは、質問や気づきを自由に交わしながら、心がほどけていくような時間を過ごせるようにセッションしています。
    一方、「癒しの時間」では足湯とトリートメントを通して、身体の緊張がゆっくりとほぐれていく施術を提供しています。そこに集う方々が自然と打ち解け、穏やかなつながりが生まれていく…そんな優しい時間をお届けする場となっています。
    最近では、定期的に多くのお客様にお越しいただけるようになりました。

    この度、どちらも体験して下さっているお客様(Kさん)から、9人の命の書の申し込みがありました。
    そしてそのお客様が、ある方(魂)を命の書に登録するかしないか迷っている時に、その方がニコニコしながら夢に現れたそうで、「登録して欲しいんだなぁ」と思い、その方も登録されるということもありました。

    命の書を受理される積会長から、「この度の命の書に登録された方の中で、気になる方が1人か2人おられるので見てあげて」とご指示をいただきましたので、まつりぬしの鳥羽さんに、その確認をしてもらいますと、その中(登録された魂)のTさんという事がわかり、鳥羽さんは、急に泣けてきて 『こんなんあるんやなぁ。今まで、こんなんなかったもんなぁ」と、笑顔で顔を見合わせているお2人が見えたそうです。

    その後高田さんへ、そのお2人の会話が伝わってまいりました。
    「今までの私たちは、死んでも生きていた時と同じ気持ちで一緒に居れたから、我々は幸せやなぁと思っていたけれど、『命の書』? 初めて知りました これからどのようになっていくのか計り知ることができないけれど、希望があります Kさん、ありがとうございます(省略)」と。

    命の書への登録を喜んでくれている方(魂)、驚かれている方(魂)の話を聞いて、Kさんも「気持ちがスッキリして、良かった」と喜んで下さいました。
    さらにKさんは、3匹の飼っていた犬と、更に3人の方の命の書への登録をされました。



    魂の世界の様子もずいぶん様変わりしています。
    私たちは何れ魂の世界に帰って行きます。『命の書』の意味を深く知り、ご先祖様や親族でなくても登録した方々からの思いが伝わってくるという、自分自身が体験した中から必要性を感じて推進しています。
    その世界は、その人の意識が次の世界へと移行するものですが、「命の書』に登録する事によって、本来自分が進むべき方向へと向かう為の準備が日々の生活の中で自覚して行きます。
    それは、自分にとってこの地球で学ぶ事への自覚の第一歩となるでしょう。

    また、すでに亡くなられた方々にとっては、光への道が敷かれ、最高の喜びをプレゼントされる事につながります。
    ご先祖様への感謝の気持ちを込めて、そして未来の子孫繁栄のためにも、ぜひ登録してあげてほしいと思います。

    高田弘子



    これから増々たくさんの方(魂)が、命の書に登録されるのを待望しておられるように感じます。
    もし、心にふと浮かぶ大切な方や、亡くなられた方の中で”気になる方”がおられましたら、どうぞやさしい気持ちで命の書への登録をお考えいただけたらという思い、そのことを、なるべく多くの方々に伝えていかなければいけないという使命感をあらたにしました。
    ●これまでの活動報告はHP:まつりぬしの活動報告 https://matsurinushi.com/category/report/ にてご覧いただけます。

    Vol37
  • Vol36

    三輪山登拝と斑鳩の里 石舞台でのまつりごと(№3)
    斑鳩の里 石舞台

    法隆寺:歴史の闇と言われ、意識化、前知識として、いろいろ聖徳太子にまつわる歴史を簡単に調べて、いくつかの候補地はありましたが、どこから行けば良いのか?若崎さんが積会長よりお伺いしていた聖徳太子さんの御霊ということで、まずは法隆寺に行くことになりました。
    境内図を見るとやはり夢殿のあるあたりに目が止まりますが、西院伽藍から拝観することにしました。中に入り、五重塔を見上げると、ものすごいエネルギーに圧倒されます。
    以前何度か訪れていましたが、こんなにも圧倒される事はありませんでした。
    波動が以前とは全く違うものになっていました。
    精神界が整えられ仏界のエネルギーがかなり変わっているのを感じました。
    聖霊院のここでは、聖徳太子像に向かって若崎さんは、長い事祈っていました。

    夢殿:夢殿は、一族が住んでいた斑鳩宮跡に建てられ聖徳太子の想いの残る場だったのでしょう。残念ながら、4月11日からの御開帳ということで、秘仏の救世観音像は、見ることが出来ませんでしたが、四方に別の仏像が安置されているので移動しました。向かって東の扉(行信像と聖徳太子孝養像)の前で、若崎さんが「あっ!いらっしゃる」と声をあげたとたん、私もただただエネルギーを感じるように目をつぶった状態になってしまいました。
    後で若崎さんに聞いた話では、上宮太子(19歳のお姿)だったそうです。
    そしてこれを書いている途中・・・まさにその時の状態になりました。

    上宮太子:「う~ん 苦しい う~ん 苦しい 地獄のように苦しい!
          咳 咳 咳 涙、涙、涙、
         「長きに渡りこのみじめな姿は、何なのか?今まさに眠りから目覚めようとするのか?」
         「首が苦しい! 焼けるように苦しい!」(毒殺された?)

    私:
    光を通します。永い年月、永きに渡り閉ざされた魂の復活でございます。
    世を想い、人を想い 天と地と人を結びたまいし尊い生命(いのち) 
    今もって、新たな時を経て復活されます。

    上宮太子:「この土地を守り抜いた先祖たちの喜びなんとしようぞ
          斑鳩の土地(里)...法華経を通して学んだ日々...
    懐かしく、うるわしく想うものなり」
         「この地すべての争い 怨念、闇の数々すべてを引き受け、去り行くものなり」

        (11日からの秘仏の公開は、新たな光が宿ったものになるというイメージ)
         「このみたま、届けからまし」

    私:
    どちらへ?

    上宮太子:「我が故郷 石舞台、飛鳥の杜」

    その場では、言葉が降りてなく、みたまは、全部の闇を引き受けて去るのはわかったのですが、どこにお連れしたら良いのか?二人で出口の前のベンチに座りしばらく目をつぶり考え込んでしまいました。そして「しばらくすると石舞台!ということがわかり、人間の頭では、どう処理して良いのかわからなかったこの土地の闇の歴史がこのような形で処理される「神仕組み」に圧倒され全てを引き受けてくださる聖徳太子(上宮太子)さんに感謝の想いでいっぱいになりました。

    石舞台:桜咲く、美しい飛鳥の石舞台・・・・
    せめてこの桜の季節に桜の花道を通ってお連れすることが出き、感無量です。
    お水を撒くこと、中山さんの音楽を聴かせることなど相談はしていたのですが、何しろ観光客も多くとぎれとぎれでしたが、石舞台の回りと中に秘蹟水をまくことが出来ました。
    石舞台の外からと中からも中山ようこさんの「石の舞台」と「守るもの」を流し、意識を合わせました。

    聖徳太子:「我がいのち せつなくもすべてを持ち去り、去りゆくものなり
          みごとなまでの心いき(心根)
          斑鳩も飛鳥も我が愛する土地であった。」


    ※ 現代語の「せつなく」が気になり調べてみましたが、聖徳太子らしいお言葉でした。
      刹那(せつな):仏教において時間の最も小さい単位。非常に短い時間。
    仏教由来の言葉で人間が認識できるきわめて短い時間、一瞬

    その時、観光客がどっと来て心配したのですが・・・・

    聖徳太子:「人々に送られ、去り行くものなり
          桜咲く ハレの舞台の見事さよ
          普通の人の豊かな暮らし  
          普通の人の営みこそがたまものぞ
          磐船に乗りて 開かれよ 開かれよ 我が胸の内」


    石舞台は磐船・・・いつ去ったかわからぬほど瞬時だったのでしょう。
    そして、帰りがけに出口の方の景色に目を向けると昨日、車の先方に見えた二上山が、はるかかなたまっすぐな方向に姿を現し、何とも言えぬ感慨深い見送りでした。
    夢殿(八角堂)では、秘仏、救世観音御開帳に向けて 新たな光に変わったように認識しました
    斑鳩の里、法隆寺、飛鳥の里 石舞台は、今でも多くの修学旅行生、観光客の訪れる場になっています。これからは、新たな光が、訪れた方々のたましいにきざまれて行くのでしょう

    こちらも後日、若崎さんから下記の内容が届いております。

    【法隆寺・飛鳥石舞台】
    天御柱大神・国御柱大神(龍田大社)
    2026年4月10日
    聖徳太子が法隆寺建立される時
    斑鳩に導いた「風の神」
    (天と地の間、大気・生気・風力を司る神)

    幕開けて
    ふせおきたること
    風ふかば 風となり
    よみとかん

    斑鳩の
    遠き星の記憶
    宇宙(そら)の仕組み
    まもりゆく意の
    ありてみゆるは
    太子なり

    この地にあれまし
    見果てぬ光を
    人 ひらきて
    ゆかん

    いにしえ人の 祈りなり

    風ふかば 風となりて


    『2026年3月29日
    古代飛鳥のもの 斑鳩の里より
    上宮王子(聖徳太子)』

    はるかなる きおく
    満天の星のごとく

    清濁あわせもち
    限りなく めぐりゆく

    石として ありし写し
    息づき 語る

    計り知れぬ 人の史実
    重ねて 重ねられ

    名もしれぬ星のごとく
    生きた証として
    確たる上に ある

    個々に記す生きたるさまは
    紐解くにおいて
    足元に転がる 石の如し

    大きく存在する石
    まばゆく光る星は
    いつの世も
    語りつがれゆく

    願いたるは
    その陰となりたる 命の誇りを
    尊み
    敬いたれば

    さらに 天の星みつることとなろうに
    夜の明けとなるであろうに

    夜(世)のまばゆきは
    天に坐す
    地に在わす
    尊き(たっとき)道のしろしめす
    明かりなり

    これよりは
    全き光が夜(世)を隈なく照らす

    いにしえ人も
    ひとつの史実の光となりぬ

    【飛鳥 石舞台】

    聖徳太子(上宮太子)並びに いにしえ人たちを 光の領域に送るため 飛鳥石舞台に。
    この地は 太子生誕の地(橘寺)でもあることから 太子にとって大切な地であり 新たな始まりをも 示唆しているように思われました。

    ○音波『石舞台』
     『守りたいもの・笛』
     中山ようこ作曲
    ○秘蹟水

    ○音波『石舞台』『守りたいもの・笛』について
    中山ようこ

    「太子さまが石舞台の上で、星空(そら)に向かって、懸命に腕を伸ばしていらっしゃるような気がしたので 音にさせていただきました。
    曲というのではなく、音の集合体という感じです。」

    このたび 私どもが体験させていただいたことは、
    「秘蹟水」
    「音波」
    「太子の叡智 意識」

    石舞台がこの三つの周波数により 石の情報が組み直され 光の磐船の役割となりました。
    周波数が変わることで 変換されるべきものに変換された ということです。

    【太子が伝えたいこと】
    人類は 自然界と宇宙(天界)の繋がりの中で センサーが養われ 果たすべき希望が見えてくる。宇宙からみて この瞬間の命を輝かせる(進化する)ことは とてもシンプルでナチュラルなこと。

    その仕組みについて 生命は知っている。
    しかし世の仕組みが幾重にも重ねられ 複雑に考える癖が抜けていない。
    過度なエゴ的意識は 邪魔となり 繋がりをオフにする。

    サイエンス 次なる時空を。


    ●これまでの活動報告はHP:まつりぬしの活動報告 https://matsurinushi.com/category/report/ にてご覧いただけます。

    Vol36
  • Vol35

    三輪山登拝と斑鳩の里 石舞台でのまつりごと(№2)
    三輪山登拝

    素戔嗚尊神社
    大神神社の鳥居の前での待ち合わせでしたが、大神神社参拝前に二人が気になった大神神社の近くにある素戔嗚尊神社に行ってみました。

    ○桜井市三輪の素佐男神社
    御祭神 素戔嗚尊
    白山神社 
    薬師堂 薬師如来 十二神将 三輪山信仰 三光宝珠(日 月 星)
    二つの磐クラ
    小さいながらも、素戔嗚尊 白山媛 薬師如来 磐座と神仏自然信仰とすべて揃った
    エネルギー的にも清々しく整った神社で、若崎さんは、ここの三光宝珠(日 月 星)に
    反応したようでした。

    大神神社参拝
    ちょうど、本殿に着いたときに明日の春の大神祭に向け盛装した神主さんたちが、そろって儀式をするところでした。後から調べると若宮例祭が執り行われたタイミングでの参拝になりました。 
    ※若宮例祭
    摂社大直禰子神社の例祭が執り行われ、ご祭神(若宮)の御分霊を本社拝殿にお遷しします。この祭典から大神神社の一年に一度の例祭「春の大神祭」の幕が開きます。

    三輪山登拝
    登拝申請や初心者説明を受け登り始めたのはちょうど12時頃で15時には戻らなくては
    いけない規則があるので時間的に気になる登拝となりましたが、自然を味わいながら、ゆっくり
    登ることにしました。
    最初のうちは、自然が醸し出すみごとなハーモニーに心を合わせた歩みでしたが、途中から
    時間が気になり、それぞれのペースで登ることになりました。
    そして、私は、中磐座を参拝し、頂上近くの拝殿で参拝しているときちょうどに晃子さんからの、ライン音を耳にし、それから100メートルぐらい歩いて 頂上の奥津磐座でご挨拶をいたしました。(今回はなぜかどこの磐座でも二人で参拝させていただいていることを伝えています)
    時間が押していたので、最後の2組の方々が後ろで待っていたのですが、しばらくただただ目を閉じていると風が顔のあたりを吹き抜け「かぜふきて みむろのやまに はながさく」とお言葉がありました。
    その後急いで下山。 しばらく降りてゆくと登りでは気がつかなかったのですが、上から見るとこんもり古墳のようになった開けた場所があり。そこに若崎さんがいました。
    気持ちの良いがところだったのでそこで祈りをささげていたとのことでした
    若崎さんがいのり、私が、頂上の磐座で言葉を受け取ったのは、同時間のようでした。
    しばらく、二人でその場の心地よい波動感じた後、急いで降ります。
    途中たくさんの鶯の声に送られながら、何とか15時少し前に、無事、下山できました。
    そして、大美和展望台から桜の花の間から眺めた三輪山に思わず涙しました。

    三輪山(御室)からのお言葉 (次の日の朝)
    「いにしえ人は、この山を仰ぎ見 私は、その人々によって支えられてきたのです
     それが山と人のかかわり、神と人のかかわり
     このみごとなまでの祈りを復活させてくださいませ」

    「今を生きて、今を生きて、死を受け入れることこそが、本来の道すじなのです
    神しくみ、神のことわり 
    まことにもってありがとうございました」

     「出雲より流れ出た たましいの復活、心よりお祝い申し上げます。
      あなたたちの見事なまでの連係プレーで、私のみたまは、よみがえりましたこと
      こころより御礼申し上げます。」

     「みむろのやまに、すべての山に、みたまがありその花の復活をねごうものなり」
      コノハナサクヤ?
    *御室:三輪山でもあり、神が鎮座する神聖な場所
    「サクラサク フジの山も メデタキナリ
      人と神のつながり すえなごう おまもりください」

    大神神社のお札から(帰りがけに大神神社のお札を買い求めておりました)
    「まほろばの土地を納めるものたちに伝えたきことあり、書きとめてくだされ」
    と催促があったので、急いでお札を出してこのたびのことの感謝をお伝えいたしました。
     そして
     「みごとなまでの計らいにただただ感謝いたす。」
     「まほろばの土地、清く美しく日本の原風景そのものである」
    「支配するものたちに申し伝えておく。
     今もって、この土地は、神のもの。この地を支配するものたちの争いは許さん。
     神と人とのいとなみ大切にせよ。一つの物語が終わり新たな時代の幕が開いた
     ヤマトを納める大神としてこの土地を守り抜く所存である。
     いにしえ人の夢、はたさん」


    そして、後日、若崎さんからも、下記の内容が送られてきました。

    三輪山 御神体中腹にて

    【口上】

    光の御魂のみことばの知りて
    つつしみて申す

    三輪の山の いにしえよりの
    みつ(三つ)の ミヒカリ
    宝珠とおわしまする
    おおやまと くにみたま

    いとも かしこし
    賜物なりと

    われら 今ここに
    御教え賜り

    天地人(あめつちひと)の 御柱に
    日月、星々
    みたまのふゆ を
    かがふらせませ と

    意を合わせ
    みたま結びて
    三光(みつのミヒカリ) の
    宝珠となりて

    山肌の いともまばゆき

    三輪(和)の山神

    いにしえよりの
    御心に

    和して 
    まつろい

    流るる星の
    すさなるを

    この国の
    新珠の光の道 
    ひかんとす

    三光宝珠
    しかと
    賜り申す

    【三輪大神】

    うまし みくにの
    みつ の わ の
    な こそ おもほゆ
    とわ の みちゆき

    わ に おふる
    ひとによするも
    ゆめみの そらめ か と

    ひ の たちて
    こと たちたまいたるは
    いわいて あらまし
    と のりたまふに

    み に こそ しむる
    ことほぎ と
    かぜ しらしむる

    まつりて いわふ
    いわいて まつる

    ふして ありたる
    やまやま の
    うつろいゆくも
    時と せし
    あたらしき はるの
    はなぞ うれしき


    この続きは、次回にご報告させていただきます。

    ●これまでの活動報告はHP:まつりぬしの活動報告 https://matsurinushi.com/category/report/ にてご覧いただけます。

    Vol35
  • Vol34

    三輪山登拝と斑鳩の里 石舞台でのまつりごと(№1)
    奈良を訪れるようになった経緯

    始まりは、昨年(2025年)1月頃に物主カードに「ありがとうございました。」とお礼を申し上げた時に「斎まいれ」とお言葉がありました。そして、2月1日にまつりぬし協会理事の方3名と大神神社と会長から指示のあった他3社を回ることになりました。前日、物主カードに明日お伺いする旨を伝えた時に「八重がきのやまに秘するや 我がみたま まつりたまいて ほどけからまし」そして、「三輪山にきこしめせ」とのお言葉がありました。昨年は、大神神社、他3社を参拝するだけにとどまりましたが、三輪山の登拝が、心に止め置かれたままでした。

    又、斑鳩の里、石舞台は、今年に入り下記のような経緯がありました。

    2月21日 (朝 浄化上昇中)

    みずからをせいし(制 正 生)
    死をもって尊し

    この世の成れの果て
    まざまざとみよ

    ちのはてのもの
    いかるがのさとのあわれ


    *私「聖徳太子の事ですか?」

    いや、もっと奥の話じゃ
    長きにおいてそこにとどめおいた


    *私 「何故に?」 

    あらたな時の到来に
    この地きよめ給うことを
    ねごうものなり

    斑鳩と石舞台まつりて そうろう
    ときおとずれて みごとなまでのはからいまつものなり


    その後、意識化するために 聖徳太子、斑鳩の里 石舞台に関する歴史など本やネットで調べ、どのようにしたら良いか考えあぐねていました。

    3月18日(水)9;00頃~

    久しぶりに波動探査をしました。
    探査をして2度目の確認探査の最後に出て来た 聖徳太子未来仏のシールをもって「私の意識と身体は聖徳太子未来仏に反応します」と
    伝えたとたん下記のことばがありました。

    「そなたの力を借りたい」

    *私 「何故に?」
     
     「私は、天に一筋の光を見たのだ
      この道が尊(貴)いことを・・・ 
      そしてそれがすべてであることを・・・(精神学の事?)
      イカルガの土地 石舞台 
      探査して下され
      読み解いて下され」


    *私 何故に?
      
     「新たな時代の始まりに寄せて
      このことは、大きな歴史の闇の問題である
      人類が間違って進んでしまった歴史
      それに、光をとりもどすこと
      よろしくお頼み申す」

     
    このような経緯があって、4月8・9日 桜の美しい季節に、若崎晃子さんに同行をお願いして
    奈良を訪れました。 
    この続きは、次回にご報告させていただきます。

    ●これまでの活動報告はHP:まつりぬしの活動報告 https://matsurinushi.com/category/report/ にてご覧いただけます。

    の報告:
    Vol34
  • Vol33

    とてつもない大きさの巳の神が 
    非常に怒っている
    場の確認と更なるお清め [国主淵 原地にて]


    2026年2月24日
    「光の送り」をさせていただいた後の この場の確認と さらなる土地の清め のまつりぬしの儀となります。

    国主淵 河川敷広場
    浄化されていない御魂様が集まりやすい場所となっており、「命の書」の登録、「光の送り」を済ませていない時は かなり重い空気と暗さがありました。

    24日のその場は とても軽くなっていました。

    【土地の清め】
    天と地を
    結びたまいし
    この地に
    なりませぬもの
    あらば 清めたまえ

    ○秘蹟水 ○積司塩 献上

    7回巡り 清めて落ち着きましたので 続いて 国主淵の上方 吊り橋がかけられている場に移動。

    その場にて まつりぬしの儀を行う。

    【御口上】
    この地に在します
    大山祇神(おおやま巳のかみ)よ
    海の神(わだつみのかみ)よ
    国津の神々よ

    つつしみて申す

    この地の御姿(みすがた)を
    つくり たもうた
    大いなる年月に

    今ここにありて
    身の程の知らずを
    伏して
    伏して
    お詫び申す

    天(あめ)
    地(つち)

    その意を合わせたるをもって
    うましえる
    この地球(ほし)の
    いのちのめぐりを
    絶ちて
    久し

    いにしえよりのことわり
    忘れたるは

    人の心の
    あさはかに
    つきたると
    誠心(まことごころ)に
    うけいれ
    今 ここにありまする

    神々の御心
    今再び
    われらと共に
    在(あ)らせ まつらくを
    願いてやまぬ

    この胸のうちより
    神々にこそと
    伝う(つとう)こと

    伏して
    伏して
    願いつつ
    祈りたまいなん

    神々の意
    のりませて
    新しき御代(みよ)の
    始まりを
    賜われまする時を

    かつての人心にあらぬ
    誠心より
    願いたてまつります

    【清め】
    ○秘蹟水 ○波動刀 による清め

    空に龍神様の御姿が見えて ひと安心致しました。

    3日に渡り まつりぬしの儀を執り行いました。
    ひとつひとつ丁寧に心を向き合わせていただき、多くの深い学びを賜りました。

    外側に起こる現象を 身の内側にて
    神意識とまつろい 結びゆく。

    私たち人が 成しえることは
    まだまだ 尊く大きいのでしょう。

    この度の 貴志川 国主淵 祭祀 の締めとして、大国主神社様に ご報告とお力添えに感謝を申し上げ、無事に終了と致すことになりました。


    ●これまでの活動報告はHP:まつりぬしの活動報告 https://matsurinushi.com/category/report/ にてご覧いただけます。

    の報告:
    Vol33