2005年9月2日付の読売新聞に<宗教>に関する全国世論調査の結果という興味深い記事がありました。それによると、宗教を信じている人は2割台なのに約8割の人が神社や寺などへ行っているらしいのです。その理由は盆や彼岸の墓参りと初詣です。つまり日本人にとっての宗教的行為は祖先崇拝や習俗などによる面が強くて、特定の信仰心にもとづいていないというのが特徴らしいとのことなのです。既成宗教離れがすすんでいるせいか、「自分の葬式は無宗教にしてほしい」と望む人が40%、大都市では50%に及んでいます。50%というと2人に1人は無宗教の葬式を望んでいるということになりますが、これはどういうわけでしょう。日本では、ほとんどが仏式、たまに神式、まれにキリスト教式があるというのがかつての葬式の姿でしょうが、無宗教ということは、お坊さんが来てお経をあげることもなければ、戒名をつけることもないということです。みんなそれで安心して死ねるのでしょうか。同じ記事内でこの現象を分析した大学教授は、(1)「家」制度の崩壊による祖先崇拝の希薄化 (2)戦後生まれの高齢者の宗教離れ (3)宗教団体への批判の高まり を指摘しています。たとえどんな社会的背景があれ、自分が死んだあと、自分の魂はどうなるのか不安であれば、死後の世界のプロであるはずの僧侶のような存在、もしくはその背景にいるはずの神さま仏さまのちからにすがるというのが道理のような気がします。ところがそうしたくないというのは明確な理由があるからでしょう。人々は知っているのです。僧侶など死後のことは何もわかっちゃいない、あてにならないんだと。今、私が感じている人々の葬式に対する希望は、人々自身の「納得」です。たとえば、どうせ無宗教の葬式をするなら、何もしないほうが費用もかからなくていいじゃないかという発想もありますが、それでは死者も遺族もなかなか「納得」できません。葬式には、残された周辺の人々が愛する人を失った悲しみを癒し、段階的に心の整理をするため必要とする場合が多いのです。葬式は必要だけど、どこかの僧侶にお経をあげてもらうのも戒名を高く売りつけられるのも「納得」がいかないのです。誰も死後の世界を知ることは出来ないというある種のあきらめや不可知論が頭をかすめるなかで、たどりつくひとつの結論は、葬式を「お別れ会」として「納得」することです。葬式は、遺族や友人知人が故人を偲び、お別れを告げる場となりつつあるのです。それで死者が「納得」し喜んでいるだろうと思えることが、残された人々の「納得」にもつながるのです。
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