紀元前に繁栄を極めた古代エジプトでは、ファラオ(王)や貴族、高官、神官などの墓やミイラが多く作られ、それが現在まで残されていることで有名です。「エジプトはナイルの賜物」と言われ、ナイル川の沿岸地帯がエジプト文化の発祥地となったわけですが、その河川地域以外は灼熱の砂漠で非常に乾燥した土地ですので、死者の遺体はときに腐敗するまえに完全に乾燥してしまい自然にミイラができてしまうようなところです。このような風土のなかで発展した古代エジプトの死生観には、後のユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教につながっているのではと思えるような復活の思想がありました。死者は発達したミイラづくりの技術によって生前の姿をとどめるように処理され、死後の世界で復活し永遠の命を得て生前と同じように暮らせるように、あらゆる生活道具が副葬品として埋葬されました。副葬品のなかには、装飾品や家具だけでなく、天国(イアルの野やヘテプの野)で育てるための穀物の種もありました。しかし死者が天国で永遠の命を得ることは簡単ではありません。数々の試練を越えなければならないのです。有名なのはオシリス神の裁判です。多くの神々の前で、死者は生前に何の罪も犯していないことを長々と語らねばなりません。よどみなくこの42項目にも及ぶ否定告白を終えると死者の心臓をオシリス神の前にある天秤にかけます。ジャッカルの頭を持つアヌビス神が片方の皿に真理を表す「マアトの羽根」あるいは「マアト女神自身」をのせ、もう片方に死者の心臓をのせます。もし天秤が傾けば死者の告白はすべて虚偽であるとされ、横にひかえていたアメミトという怪物に心臓を喰われてしまいます。それは死者にとってもっとも恐ろしい第二の死です。永遠の命への希望は絶たれ地獄に落とされます。砂の中に完全に埋められる墓なのに、玄室の壁に死者の生前の行いをたたえる文章や呪文を多く残したのは、そのように死後の世界で必要だったからなのです。死者はこのオシリス神の法廷やそこに至る道中でも、何度も呪文を唱えたり、神々の質問に答えたり、名前を名乗ったりする必要がありましたので、葬儀のときには「開口の儀式」というものも行われていました。死後の世界できちんと言葉を話すことができるようにするためです。しかし、死者に恨みをいだく者は、遺体の口を破壊したり、墓から名前を削ったりして、死者が冥界で語れないようにしようとしたのです。さて、これらの死者の旅路を邪魔立てする企てはうまくいったのでしょうか。どう思われますか。
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