1982年のアメリカ映画「ポルターガイスト」では、郊外の新居に引越してきた家族がその家の悪霊に悩まされつづけます。その原因は、その家が実は以前墓地のあった土地に建てられたもので、墓石だけが移され、遺体はそのままにされていたというものでした。キリスト教墓地では土葬なので、棺桶に入れられた死者たちがたくさん家の下に取り残されていて、それを知りながら住宅を販売した悪徳不動産業者がいたのです。静かな眠りを妨げられた死者たちは、何も知らずその家に住む家族にさまざまな霊現象をもって襲いかかるという話です。火葬と土葬の違いはあれ、日本人にとっても墓地というものに対するネガティブなイメージはまったく同じと言っていいでしょう。日本の怪談でもいわくつきの建物が実はかつての処刑場や墓地だったところに建てられていたというのはお決まりの話です。墓地の真上でなくとも、窓から隣の墓地が見える不動産物件が相場より格段に安いのは現代社会の事実です。霊なんているわけないという堅物でさえ、お墓の横の家に住みたいとはなかなか思いません。なぜでしょうか。「だって気持ち悪いもん。」なぜ気持ち悪いのでしょうか。詳しい原理はわからなくても墓地というものが放つマイナスのイメージは誰もが認めるところであり、それはマイナスのエネルギーと言いかえてもいいでしょう。イメージだけだから何の影響もないはずだというのは時代遅れな発想ではないでしょうか。イメージは力を持ちます。現に墓地は周りの土地の市場価格も変えているではないですか。墓地の持つそのマイナスエネルギーのみなもとは死者の「思い」かもしれないし、墓地を見て死者を思い出すという、生きている人々の精神作用かもしれません。いずれにせよ死者のことを考えることで、霊界と呼ばれる薄気味悪い世界と意識がつながることが嫌なので人々はそれを避けるのではないですか。この、ある意味で社会に迷惑な墓地という宗教施設を今後も増やすことは「負の遺産」を増やすこととは言えないでしょうか。土地の少ない日本で、競い合うように「負の遺産」を増やさなければならないのでしょうか。またそのように気持ち悪がられるような施設増大にあなたも参加協力したいですか。原子力発電所やごみ焼却場など、どの町でも建設が嫌われる施設というものがあります。これらは「負の遺産」とは言えませんが、行政上どこかに必要だということで、地域住民の反対運動を抑えて結局どこかの町へ押し付けられてしまいます。しかし、墓地は行政上必要だからとどこかへ押し付けるようなことをしなくてもよいのです。「要らないよ」とみんなが言えればそれで済んでしまうのですから。
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