さあ、ここまでいろんな角度から「お墓はもういらない」ということをテーマに語ってきました。もし仮に、あなたがこの考えに共感したとします。しかし共感しても、それを決断し実行するには、大きな壁が存在します。それは、お墓はいらないと家族に宣言できるかどうかということです。両親や兄弟姉妹、子供たちに決断を伝えることができますか。お墓はいらないので、私の骨は、ふるさとの海や山に散骨してほしい。そういえますか。もしかして家族は反対するかもしれません。これまでの日本の風習に反するからです。当たり前と思われていることを否定して、あなたの意思を伝えることは簡単ではありません。しかも、お葬式も散骨も、実際に行動してくれるのは、あなたではなく残された家族なのです。家族がこれまでの風習に反することを行うためには、覚悟が必要です。親戚に「そんなことはやめなさい」と言われたときに、家族は何をよりどころにしたらよいのでしょう。それは、「それが父の意思であったから」、「それが母の願いであったから」という残された家族の確信です。「自然葬も悪くないねー」と話したことがあったからといって、家族はそれを必ずしも実行すべきことかどうかわかりません。むしろふだんの何気ない会話が、いざというとき遺族を迷わせることもあるのです。もしあなたが、本当に決断したのなら、そのことを真剣に家族に宣言する必要があるでしょう。第三者の反対も考えて、遺書を残しておくのも確実な意思表示になります。将来考えが変わるかもしれないからと遺書を書くことを避けてはいけません。考えが変わったのなら、その時に、それ以前の遺書を破棄して新しい意思表示をすればよいだけです。死は、いつ、どういうかたちで訪れるかわかならいことを誰もが知っていながら、人は、まだ自分に時間はあると信じています。死ぬときに考えて家族に話すよ、では冗談にもなりません。人間関係にもよりますが、ふつう家族内で死について語るのはある種のタブーで、家族の死に関する話題を避けてしまいがちです。それは特に子供から親に、確認しづらい話題です。あるいは、自分や家族が死ぬときのことを考えることさえ、避けてしまっているかもしれません。しかし、めんどうくさがってそれを考えなければ、そのしわ寄せは遺族にいきます。よくわからない故人の意志を思いながら、ここに墓をつくったけどよかったのか、自然葬にしたけどこれでよかったのか、これで満足してくれるのかと、永遠に一抹の不安をかかえていくことになるのです。あなたが本当に家族を愛するなら、家族に負担をかけたくないなら、あなたは自分の死に方に関する意思を、理想的には書面で、家族に伝えておくべきではないでしょうか。
▶︎トップ項へ
