日本の山林
このクニの豊かな海を守ろうとするなら、山を守らなければならないという関係が多くの人間に知られるようになってきました。ところが、山間部では、高齢化が進み、田畑の耕作放棄地の増大と、手入れのされない山林の増加によって、人間の住めなくなる地域が急速に拡大するといわれています。
私の個人的なスケジュールでは、お墓のかわりに森を残そうという運動の主体となるNPO法人のようなものとして、アース・トラスト・ジャパンをある程度以上の賛同者を集めて立ちあげるのは、2012年以降だと考えていました。
前にも書きましたが、私の頭のなかにある、自分の墓をつくらず、山か海に散骨を希望する方が、負担するのは、50万円です。そのうちの50%、つまり25万円分が山林や田畑を購入し、維持するためのトラスト資金に当てられるというものなのですが…。
単純に、精神界にある数字である「いちまんとばしら」という10000人の参加だと、その資金は、約25億円になります。墓地の価格だけではなく、このクニの都市部の土地価格や、有力な宗教団体が集めている献金額からいうと、大したことはできない数字のように思えます。
ところが、山となると…。
先日、私のもとに35万坪の山林という案件のニュースが届きました。ある雪深い地方の山林ですが、一応、国道に面しているということでした。正確なことはわかりませんが、価格はヘクタールあたり何十万円という数字だったと記憶しています。
一万人どころか、千人でも、かなり大きな公園のようなスペースを次の世代のために残すことが出来そうです。
いま、全国で地方自治体が支えてきた林業組合などが、その借入金の返済をめぐって、政治的な決着を迫られています。
現代のマネーゲームにおいて、それらの山林は、利を生まないものであることを知りつつ、地域のための公共事業として、継続されてきたというのが、現実のところでしょう。
経済が成長し、税収の増加が期待できる間は、このような選択も可能でしたが、もう、国にも地方にも、そんな余裕はありません。
これから、どうなるのでしょう。
山林というものは、放棄すれば荒れます。国内材の需要が回復するなかで、材木を切り出した後、植林し数十年の管理を誰が担うことになるのでしょうか。
いまのグローバル経済のなかでは、世界の景気に国も地方も、そして山林地主も、影響を受けます。ペーパーマネーの方が、実体として、年々成長する山の木々よりも、パワーがあるというこの経済の不合理さをよく考えてみましょう。このバカバカしさは、生きている人間の欲望だけを、経済が反映しているからなのだと、いい加減で気がつくべきなのです。死者は、マネーゲームに参加することはできません。けれど、生きている間にできることもあるのです。それは、自分が生み出した財貨を、自分の死後にマネーゲームに使うのではなく、マネーゲームの時代を終らせるために使うという選択です。
そのひとつが、私がお伝えしている、アース・トラスト・ジャパンの方向性なのですが、この面でも、状況は急速に進行しているのかも知れません。
これも誤解されることを承知したうえで、要約してしまうと、地球上の土地というものに、私有制という概念をあてはめ、すべてをマネーで買えるようにした時代が、私たちの生活している「いま」という時空なのです。
この時代のルールや価値観を、聖書の黙示録は、はっきりと予告していたのではありませんか。
地球という生命系は、この人間の無限の欲望に耐えることはできません。それに気づいた人間から、生きざま、死にざまを変えるしかないとしたら、日本という場で、いちばん最初に、その変化が起きなければならない必然があることにも気づくべきでしょう。
日本の山々は、歴史上、つねに神仏に捧げられていた場であったことを思い出してみてください。
