毎日90人の死の蓄積
このクニは、毎年3万人以上の自殺者を出し続けながら、それを社会問題化もしない不思議な気分の中を漂流し続けています。公式データでも、毎日毎日90人以上が、自ら死を選び、死体を残し、誰かにその自らの肉体の最期を託しているわけです。
キリスト教、とくにカトリックでは、自殺は罪とされ、教会はその葬儀はもとより、墓地に葬ることまで拒否してきました。死に対する考え方は、ある意味で、その文化を規定します。日本の武士道では、死に方に対する美学を、宗教的な価値にまで高めて、自死を認めようとします。しかし、この場合の死は、責任の取り方であり、自らの死によって積極的に家や一族などの名誉を守るという社会的な機能もはたしていたのです。
いま、このクニにおける自殺のほとんどは、そうした名誉ある死ではなく、精神的に追い込まれたり、経済的な苦境という人生の敗北感から生じたものなのです。
このクニが敗者復活戦という考え方の社会的な仕組みを持たないまま、グローバリズムの名のもとによる、マネーの論理だけに支えられた競争社会に突入したときから、こうした結果ははっきり見えていたはずです。
日本語を話す日本人は、主語のあいまいなその言語特性そのままに、「私は、私は」という自己主張が苦手です。その結果、自身と他者の境界をあいまいにしたまま、何らかの問題に直面すると、自分の責任範囲と他の責任領域の区別がつかないまま、すべてが自分の責任や罪であるかのように思い込みやすいという現象を生じることになります。
それは、うつ病の入口です。
そうした内的な問題の解決に、精神科や心療内科で処方される、抗うつ剤のような薬は、もっぱら自己主張の強烈なアメリカ社会で治療薬として実績をあげてきた薬のようです。
脳の動きを、脳内物質というバロメーターでみて、それを制御するということをする前に、思いの形態、ここではあえて思考形態とはいいませんが、日本語を使う脳と、英語を使う脳の間の差を検証していくことが必要なのではないのでしょうか。
アメリカ人はすぐにセラピストのもとを訪れますが、日本人はカウンセリングのできるセラピストというよりも、占い師やヒーラーと呼ばれる手っ取り早い救済に出口を見つけようとします。この差が、毎日90人の自殺者という数字にあらわれているのでしょう。その自殺者が、この世の側に思いを残し、とどまっているというのも、また現実です。その暗い思いのエネルギーは、伝播し続け、さらに犠牲者を増加させていきます。
いま、このクニの社会は、そういうサイクルにしっかりと入っているのです。
自分の死を考える人間なら、こうした他の人間の死も考えなければなりません。多くの宗教者は、人間を天国と地獄にわけることで、自分たちの生きる糧を得てきました。何を根拠に、人間は天国と地獄にわけられるのでしょうか。
宗教者が、それをきちんと説明できるのでしょうか。
どのような説明をしたとしても、その根拠は、過去からの伝承でしかないのです。その過去あった精神世界というものすべてが消滅したこれからの時代での説明にはなりません。
アース・トラスト・ジャパンは、自殺という文化を持ったこのクニで活動するために、すべてのたましいのマイナスのエネルギーも処理できる場が、山や森にあるという日本人なら誰でもが感じている浄化の根本を出発点にしなければなりません。
私は、欲望にまみれた都市の文化が、その経済の論理だけで、山や森や田園の所有者となるときに、かつてエネルギースポットとされた聖なる場所が、ただのケガレ地になりはてる姿を何度も見せられているのです。
日本全国、もう、はじめないと間にあいません。それは、毎日の生活のなかから、仕事のなかから、はじまるべき、新しいムーブメントなのですが…。
