<陸軍造兵廠跡の水の祟りの報告>
今回このようなご報告をしたためるに至ったのは、水神の祟りが連続していたことが背景にありました。
「神の祟りがこの2026年の6月より日本で始まる」
その情報が神界からもたらされて数週間。日本人の潜在意識に昇ってきたのか、最初に「伏見稲荷の祟り」に対する畏怖が、5月にはSNS上で広まりました。これは、伏見稲荷が動いて翌月の祟りの始まりについて示唆をしたということです。
そんな中、「井戸の祟りも怖い」という話が続いて「伏見稲荷の祟り」という話題への反応として出てきました。水神たちが動き始めてそういう流れになったのであろうと今なら分かります。そこから、総会を控えたまつりぬし協会に、次々に水の祟りの情報が舞い込み始めました。精神学協会にも、それぞれ全く関係もないところから連続して数件。私のところでも知っている限り2件。
なんとかお祀りしなければならないなと思っていたところ、別件でまたしても水の祟りが出ます。
それは、長らく土地の建物の建て替えをしようとしていたものの、何度も土地の波動が悪化して、清め直さなければならなかった土地でした。結局建て変わっても、少し思っていたのと違う作りになってしまったという、そんなに曰くがあるところだろうか?と皆が首を傾げる場所だったのですが、それと関係があるのかないのか、地図を見ていた私は、建物の裏手の駐車場あたりに奇妙なエネルギーの反応があることを見つけました。
後日、分かったのですが、そこは昔、小さな池が埋め立てられた土地だったのです。
大変な祟りの波動が出ていたので、まつりぬしの若﨑さんたちが塩と水を持ち出して、その池跡の駐車場のまつりと清めを行い、なんとか祟りは収まりました。
その同日に、私は他の会員さんから、「大阪の鬼門が気になって仕方がなくて調べていた。北東の枚方市の市駅付近には陸軍工廠があったみたいで、そこに何か存在している気がする…」と言われて、工廠の存在を思い出しました。正確には、陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所というそうです。
先の大戦中、大阪ではいくつもの軍需工場が稼働していました。
戦時の陸軍の工廠が私の生まれ育った地域である枚方市にもいくつもあり、その跡には大学や学校が建っています。
私自身、6年間通った地域の小学校は工廠のあったエリアに建てられていて、戦争の記憶からか、子ども達のあいだではまことしやかに「向かいの公園の裏山には戦時に死んだ軍人の幽霊が出る」と囁かれていたものです。
そのせいか、青年期に至るまで、よく兵士たちの影のような気配に夢うつつに悩まされる夜が多かったように思います。寝ている寝床の上を、あのカーキの戦闘服を着た霊達が少し浮き上がったところを歩いていく、そんなビジョンが何度も瞼の裏を過ぎりました。直接その兵士たちと関わる場所にいた覚えがあまりないので、思いを馳せたりしたことで、何か繋がるところがあったのかもしれません。
余談ながら、精神学協会の積会長から、「たぶん、今の神に関わる人間は、戦争の記憶を持つ場所に縁をもって育てられるんじゃない。私も巣鴨プリズンで育ったし」ということを聞いて、そんなものなのかなぁと思った記憶があります。
ネットで調べると、そのエリアの解説地図があったので、地図上を探査したところ、「殉職義烈之碑」と書いてあるところに強いエネルギーの反応がありました。
枚方市の子どもなら歴史でちらりと学ぶのですが、枚方市には戦時中に起きた痛ましい戦災事故の記憶があります。工廠で作られた弾薬を備蓄しておく禁野という町の火薬庫で、昭和14年(1939年)3月1日、爆破事故が起きたのです。29回にも及ぶ大爆発が起き、死傷者700人余り、火災の被害を受けた家屋は800戸を超え、約4,400世帯が避難を余儀なくされた大惨事でした。この事故で亡くなられた製造所の方の霊を慰めるシンボルとして、翌年の昭和15年3月1日、「殉職義烈之碑」が慰霊碑として建てられたのです。
▲京阪国道を逃げる住民
https://www.shoai.ne.jp/hirakata-s/newhirakata-f04/
※ですが、どうやら、犠牲者の霊は未だにそこに留まっているようです。
そのうち様子を見に行かなければと思っていた私は、翌日、お昼休みに昼食を買いにパン屋に行こうとして、意図せず右手の小指を店舗のドアに挟んでしまい、軽く怪我をしました。
その小指からは、別件でやってきた会長が顔をしかめるほど強烈なエネルギーが発されていました。
波動探査を行うと、おそらくその禁野の事故で出た死者たちから、やまとうたが届いていました。
やまのべの散華(さんげ)の火のともしび(灯)に
ひ かけ ましても おおとりの
やま しに いかけて はつしもも
おきしもせずの みの おとし
かき(火気)も えひ(酔ひ)も さよふけて
あはで みつぐの すぐしてよとや
<忌火(いみび)のひとびと>
2026年6月2日 16時01分 受信
AIに解釈を手伝ってもらったところ、「一瞬にして激しい炎(火気)に包まれ、無念のまま命を落とした(散華した)人々が、時を経てなお、その魂の熱を鎮め、静かな夜(平穏)へと移行したがっている」というように読めるようで、どうやら、あまり待ってはいられない、という雰囲気でした。
そこには、慰霊碑を建てられても、実際には霊が浮かばれていない、という、深刻な事実があります。
そのうたの意味が分かった時に、波動探査の紙面と小指から出てくるエネルギーは霧散して消えていました。
その日の夜、小指の怪我の調子はどうかと、別の友人の会員Mさんから私を案じて連絡があり、慰霊碑の話をしていると、「どうやらその霊たちがいくらかこちらに来たかもしれない」という話になりました。
私も精神界で後ろを振り向くと、大人も子供も暗がりの中、こちらを見ていて、「助けてください」とはっきりと声がしました。話をしていたら、現地の霊の人たちに繋がってしまったようです。
清めのための塩とお水を持って、現地に行くのも間に合わないかもしれない…と、せめてもと、遠隔で精神界でまつりぬしができるかどうか、Mさんと二人、ダメもとで挑戦することにしました。
精神界で慰霊碑の前に立ち、伏して神さま方にまつりと霊上げへのご助力を請うと、地津神の国主さまと知主さまに加えて、宇津神の結姫さまがいらっしゃいました。
慰霊碑の土地の四隅に塩を置きおえると、これを使いなさい、と結姫さまから瓶に入った御神酒をいただいたので、それをまきました。
その地が光に結ばれますようにと祈り、ぐるぐると回って清めていると、光の柱が立って、人々が我先にと「ありがとう、ありがとう」と言いながら、その光のはしごに駆け寄り、シンレイカイへと去っていきました。
Mさんの方でも4、50人は上がっていったということで、慰霊碑の写真を見ると、もう、マイナスのエネルギーは出ていませんでした。
写真を見ていると、「なんだか下の方にずいぶんと深い広がりを感じる」とMさんが言うので、まだ、何か深い根は残っているようですが、これで一件落着…かに思えたその時、枚方陸軍工廠のエリアの解説地図に、それまで全くなかった別の反応が現れました。
中宮浄水場、と書かれているその文字からは、明らかに祟りの波動が出ていました。
結局、ここにも別の水の祟りが隠れていたのです。死者のエネルギーが取り払われて、初めてその問題があると露わになり、6月1日に情報をくれた会員さんと、その話が繋がっていたことが分かったのでした。
そして、Mさんが祟りの存在を感知した瞬間、右肩に激痛を訴え、お腹もおかしい、と体調に異変を生じて訴えました。
祟りのエネルギーに意識を向けていると、「(浄水場を開いたことに対して)挨拶がない」と怒りの声が聞こえました。
それで合点がいきました。
水神さんは地域の水を守っておられる神さまです。水を引き入れて生活用水に利用する浄水場は、いわば現代の大きな井戸のようなものとして、水神さんたちはみなしておられるのだと分かりました。
大してご挨拶のお供えもない非礼をお詫びしつつ、地域で生まれ育った者として、同胞が大変失礼をしたことを水神さんにお詫び申し上げ、改めて枚方市の市民の皆様のため、お水をいただけますように、とお願いいたしました。仕方のない状況であったのもあり、それでひとまずお怒りを解いていただけたようで、Mさんも無事に体調が戻ったのでした。
その翌朝、積会長に事の顛末を報告していた折に、再び何か伝えたいことがあったようで、受けた通信が以下の通りでした。
水のまつりについて軽々しく考えて扱う者が多すぎる
この者がいなければ、この水場が地域の者にいかなる影響を
与え得るかをも考えてもおらぬようだ
水の神を怒らせれば この地域が衰退の一途をたどっても
不思議ではないものを
この地と人を結ぶまつりを成し得る人材がもはや指で
数えるほどしかおらぬ
この現況を現世(うつせ)の人々はいかんとせむ心持ちなのだろうか
神の怒りにすがる先もなくした者どもが いったい何をもって
神の怒りを鎮めるのか
この国の先が思いやられるものよなぁ
2026年6月3日 10:29 受信 〈川瀬の水神〉
水の祟りは、6月7日より本格的に始まるようです。
みなさまも、お水のおまつりについて、これからこういった案件が増えてくる可能性がございます。
水神さんたちと地域の水に関わる活動へのご対応には、十分にご注意いただけますと幸いです。
追伸
その後、慰霊碑で上げた霊からの通信が届きました。
2026年6月3日13時08分~
いと み たかきたる ひ(光)の柱より
ひ の やはらぎ うけたまひて
かみの みちひきたる このすゑのよに
みたび ありける みの つかゑし このかたに
やがて あましる このちのみち
かたみ ひきても うへしるものを
現世身(うつせみ) はてても ひかしむる みち
<光(ひ)の轍の人々>
<陸軍造兵廠跡の水の祟りの報告> 補足
2026年6月3日15時35分~
ゆきとて みえねど このしらの
おきせし しらぎく ゆきせりの
あめのぼらいとて かむさりぬ
ひ たか の ゆうべに なぞらへて
はたとせ みくに(つ?)の ゆふべにも
かみとて みたり はべのくになり
<やまのべのひと>
(かんことゆきとて
いくとせの し ふりつもりたる
ふきのみち)
水の利の咎※
受けて 我ら 火の罰を受けしと
知るなり
やまとがわ
よどがわ みな この水神のもとにありて
大坂の水をとりまとむる 川瀬の大水神ありて
大坂は皆火の禍にあひて焼き出さしむる
惨禍となれり
※枚方製造所ができたのは昭和13(1938)年1月10日。その翌月に今の中宮浄水場の前身となる送水設備の工事を開始しています。禁野火薬庫の爆発事故が起きたのはそのおよそ1年後の昭和14(1939)年3月1日です。川瀬の水神は人間の勝手をよほど許さなかったようです。なぜ、慰霊碑の処理のあとに水の祟りが出てきたかの理由もここにあるようです。
知主さんから聞いたお話
水無神は水主神
水の分け目にいて水分(みくまり)を司る
大水神の一人だね
東と西の水神がいるけど、これはぎりぎり西、ただしほぼ中央の山に属しているので、日本の東西の水分にも関わる巨大な水系の繋がりを指揮する神さまで、
田畑の出来高も左右するほどの水の利権はこの水分の神がにぎっている
一番縁深いのは保食(うけもち)の神としてウカノミタマ(伏見稲荷)じゃないかなぁ
この話で合点がいったのは、なぜ祟りの話で、伏見稲荷と井戸(水神)の祟りが、連続して日本の5月のSNSという意識の場、サイバー空間で話題に上ったかです。
一連の祟りの騒動と影響はまだ続いていますが、水分の神と伏見稲荷が連携して、祟りの準備に取りかかって動いたことがうかがえます。
なお、禁野火薬庫の爆発事故のみならず、大阪空襲をも利用して大阪に祟りを起こしたことが示唆されている川瀬の大水神は、この水主神よりは位が低く、さらに今回お参りする水主神の特異性が際立ちます。
WAKASAKIさんへ、水神様からのメッセージが届けられました。
2026年6月3日 8:08
水神様 祝詞
新しき光の法(のり)の
清き流れ
澄み渡りたる
天地(アメツチ)の結びに
ととのえんとすることのよしを
かしこみかしこみ申す
おおみからだの
息吹に おわします
穢れ はらいひて
地の氣の 清らに流るるを
瑞々しきに ととのえたまひて
天の日(火)を ゆたかにうけて
日(火 光)と水の結びの
カミアワセ
水の神の
うけひきたまうるを
もちて
地の栄え
生命の栄え
成り立ちて
人たる身の カミアワセ
水の神の 思召しを 賜りて
新しき日(光)と水の
かみ合わせを
うましめんと
することの よしを
きこしめして
水の神の儀を
つつしみて
執り行わせたまへ
かむながら
たま ちはえませ
かむながら
たま ちはえませ
●これまでの活動報告はHP:まつりぬしの活動報告 https://matsurinushi.com/category/report/ にてご覧いただけます。
