広島で、まつりぬしによる海洋散骨研修会を開催しました
【前編】
二千二十五年十月十二日、広島でまつりぬしによる海洋散骨研修会が実施されました。
研修会の行程としては、JR広島駅に集合して、一般社団法人日本まつりぬし協会認定の送り船、キセキセカンド号が停泊している廿日市市の港までを、車で移動しました。
港について出航し、まずは安芸の宮島にあるマリーナへ。上陸後に徒歩で移動し、厳島神社へ向かい参拝させていただくことになります。その後、マリーナにもどり出航してから宮島の神域の境界になる海域へ移動し、船上での海洋散骨の式を、八人のまつりぬしにより、実際に流れで行ってみました。
それらの「まつりぬしによる海洋散骨研修会」を、前編・後編の二回に分けてご報告いたします。
【前編】は、安芸の宮島にある厳島神社へ、まつりぬしとしてご挨拶にいったことのご報告になります。
観光客として宮島を訪れるときは、定期便として行きかうフェリーに乗船して、島に渡るのが一般的ですが、今回は十一人が乗船している大型クルーザー・キセキセカンド号で島に渡りました。初めて、クルーザーに乗船した人がほとんどで、二階席に上がって舵を取る船長・弓場英治さんの横で、目の前を横切っていく定期フェリーを見送ります。海の約束事として、フェリーなどが走行している場合は、そちらが優先になり、自家用船は走行の妨げにならないように停止して待ちます。
港を出てから三十分ほどで、宮島のマリーナに到着しました。
当日は三連休の中日でしたので、行きかう定期フェリーはほぼ満員の状態でしたが、個人所有のクルーザーが停泊する予約制のマリーナは閑散とした雰囲気です。そこから、三十分ほど歩くと、厳島神社の海に浮かぶ朱色の鳥居が見えてきます。
マリーナの位置の関係で、厳島神社の後方部分へ出てきたのですが、まつりぬし、ひいては精神学を学ぶ者として、神社へのご挨拶には二つの決まりがあります。
1, 神社にある正門の鳥居から、ご神域へ入らせていただくこと。(裏からはNGです)
2, 正門の鳥居で、きちんと自分の名前を声に出して名乗り、神様にご挨拶をすること。(小声でもいいので、きちんと声に出すこと)
まつりぬしとして、それらの作法を守って正門の鳥居からご神域へ入らせていただきました。
最近、日本全国の神社には、外国からの旅行客がたくさん訪れています。日本建築の粋を集めた神社仏閣は人気で、当日も世界各地からいらっしゃった人であふれていました。参拝にも長蛇の列なので、十月だというのに夏日に近い高気温のなか、おとなしく並んで順番を待ちます。
【 厳島神社 】
厳島神社のご祭神は、
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
の宗像三女神さまです。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)と素盞鳴尊(すさのおのみこと)が高天原(たかまのはら)で剣玉の御誓(うけい)をされた時に御出現になった神々で、御皇室の安泰や国家鎮護、また海上の守護神として古くから崇信をうけられています。
現在地を選んで社殿を建てたのは、推古天皇御即位の年(五百九十三年)と伝えられています。その後には、安芸守となった平清盛(たいらのきよもり)が篤く崇敬し、仁安三年(千百六十三年)に寝殿造の様式を取り入れた御社殿に修造しました。清盛の官位が上がるにつれ平家一門のみならず、後白河(ごしらかわ)法皇の御幸、高倉上皇の御幸があるなど、多くの皇族・貴族が参詣され、都の文化がもたらされました。松島・天橋立と並び、日本三景として知られ、平成八年にはユネスコの世界文化遺産に登録されています。
また一方、地球神界では、日本の政治経済、文化のすべての面で、関与してきたこちらの神格が、宇宙的な文明創造に参加するために選んだ宇津神(うつがみ)様の一柱である新しき神、【一姫(ICHI NO HIME)】としても、活躍されていらっしゃいます。
ご縁の深い厳島神社への参拝は、心躍るものでした。
参拝したときに、「よくいらっしゃいました」という言葉や、言葉は聞こえなかったけれども、歓迎されていたのがわかったと伝えてきた、まつりぬしもいます。
参拝後に、マリーナに戻って、本格的な研修会の始まりになります。
【後編】に続きます。
これまでの活動報告はHP:まつりぬしの活動報告 https://matsurinushi.com/category/report/ にてご覧いただけます。


