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まつりぬしの原点(アーストラスト)

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Archives of activity reports of Matsurinushi

活動する<まつりぬし>の記録

各地で活動している<まつりぬし>の
これまでの活動報告をまとめています

  • 26.臨死体験に学ぶ

    臨死体験をご存知でしょうか。病気や事故で命を落としかけた人が体験するという不思議な現象です。多くの臨死体験者が共通して証言することとして、自分の意識が身体を抜け出し自分の姿を上から眺めている様子や、トンネルのような暗いところを抜けると、愛にあふれた光の生命と出会うというような内容が有名です。体験者の国籍や宗教などの文化的な影響があることもありますが、その共通項の多さから、本当の死後の世界のすがたではないかとか、危機に瀕した脳が引き起こす幻覚にすぎないとか、さまざまに議論されています。ここで注目したいのは、臨死体験をした人の多くが人格的に劇的な変化を起こすと言われていることです。宇宙との一体感や、森羅万象やすべての人が自分とつながっている感覚、時間や空間が飾り物の枠組みに過ぎないという感覚を体験して、物質的金銭的な欲求がむなしいものと感じられ、精神的な知識欲と、他人への愛、奉仕、助け合う心が生まれるらしいのです。さらに、人生には実は神聖な意味と目的があり、それを果たすことが何よりも大切だと思うようにもなるのだというのです。ここまでくれば、もう東洋的な言い方でいう「悟り」じゃないかと思えるほどの境地ですよね。さらに興味深いことは、体験者の多くが「宗教的」な物事から遠ざかり、「精神的」になったと語っていることです。彼らにとっては、特定の組織宗教やそれらが持つ形式的な側面が重要ではなくなり、普遍的な精神性が重要になります。そして「神」の存在を確信するようになったと証言します。これはどういうことなのでしょうか。ついつい「神」とは宗教と1セットになった言葉のように思いがちですが、私たちは大きな勘違いをしていたのかもしれません。そう考えると、よく新聞などで、「21世紀は宗教の時代」などとありますが、あんな疑わしい価値観を読者に刷り込んでもよいのでしょうか。それはともかく、臨死体験者のように、より良い倫理観に目覚め、慈愛に満ちたパーソナリティになれることは素晴らしいことですし、できればそれがどのようなものか体験したいものです。しかし誰も死にかけるような危険な目にはあいたくありませんよね。一方で、人生の神聖な目的とは何なのか、宗教的ではない精神性とは何なのか、とても気になるところです。もしかしたら、九死に一生を得るような稀有な体験がなくとも、この時代にこの問題を考えるように、気付けるように、これらの多くの証言が広く伝聞されるようになっているのかもしれないと、ふと思ったりします。

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  • 25.手遅れ心理

    人生の有限性を感じ、やりたいことが見つかっても、即刻着手できるとは限りません。さまざまな障害があるからです。なかでも「手遅れ心理」は、できない理由を考える才能にたけた私たちの心がよく持ち出す手段のひとつです。高齢を理由に、「今からそんなことをはじめても無理だよ」とか、若い人でさえ「もうそれをやりだすには遅いよ」などと言います。「坂本龍一なんて3歳からピアノをやってるんだぜ。今からじゃあ、無理無理。」などと中学生が嘆いたりします。その背景には、今からじゃあ成功できない、一流になれない、というやたら大きな成功像があるのでしょう。成功するという対価が約束されないなら、やりたくないのです。しかし、成功という恩恵に浴することばかりが本当に意義あることでしょうか。アフリカに渡り乏しい医療機器で現地の人々を助けながらもなお多くの死者に直面する医師は無駄な努力をしているのでしょうか。砂漠の緑化研究をしつつも成果がなかなか出せない研究者の努力は無駄なのでしょうか。そう考えると、成功しないならやりたくないというのは、なんとも傲慢な気がします。大切なのは、ある物事に邁進したという事実であって、それが功を奏したかどうかで否定されるなんて結果論です。しかし私たちは推測の結果論で、自分が今行動しないことを理屈付けしがちです。ある男性が29歳で勤めた会社を辞めようと思い立ち、お世話になった部署の人たちに挨拶まわりをしました。30代前半のある女性は、「私も20代なら辞めてるな」と愚痴をこぼしました。40歳前後のある課長は、「僕もあと5年若かったらなぁ」と彼を羨ましがりました。50代のある部長は「僕もまだ40なら辞めてやりたいことがあるんだけどなぁ」といいました。それを聞いて彼は、会社が好きなら頑張ればいいし、したいことが他にあれば会社を辞めてしたいことに取り組めばいいのにと一瞬思いましたが、そんな風に簡単にできないこともよくわかっていました。彼にとっても30歳を前に会社を辞めることは実は勇気のいることだったのです。彼は、年齢は都合のいい言い訳のひとつかもしれないと思うようになりました。このように年齢を理由に、したいことに着手しない心理をかりに「手遅れ心理」と呼びましょう。この「手遅れ心理」は疑ってかかったほうがよさそうです。たとえば、商家の婿養子であった伊能忠敬が星に興味を持ち、江戸幕府の天文方で勉強を始めたのが50歳。私財を投じて日本国土の測量をはじめたのが56歳のときです。74歳でなくなるときには、日本最初の日本地図は完成していませんでした。伊能忠敬は手遅れだったのでしょうか。

  • 24.龍馬になりたい

    国会議員となっている人たちのなかで、驚くほど多くの人が司馬遼太郎さんの歴史小説に感動して政治家を志したという話を聞きました。特に「竜馬がゆく」などの幕末から明治の物語は人気だそうです。たしかに、身の危険を顧みず、国を憂いて奔走する若者たちの必死の姿に憧れる気持ちは誰もが共感できるところです。議員さんたちも、龍馬のようになりたい、吉田松陰がすごい、新撰組がかっこいいなどと、純粋な動機があったのでしょう。よく考えてみれば、特に人気のある人物は、自分の栄達や名誉に捉われず、おぼろげにかたちづくられた日本のため、思想信条のため、事を成すために奔走し、ついえた人々です。彼らはいろんな意味で必死だったでしょうし、実際若くして亡くなった人も少なくありません。龍馬も33歳で暗殺されています。しかし、いかに龍馬のようになりたいと言っても、もしあなたが本当に龍馬と同じような人生を歩めるならやってみるかい、と聞かれてそれを迷わず受けることがでるでしょうか。仮にあなたが山田太郎さんだとして、33歳で殺されるけど150年ほどのち、2150年ごろに日本で功労者山田太郎として有名になるから頑張ってと言われてその人生を引き受けられますか。定まった住処もなく、日本中を転々としながら国事に奔走したあげくにその先どうなるのかわからないまま33才で殺されるという運命です。リアルに考えると、そう簡単に引き受けられる運命ではありません。ここで現代人なら価値観が千差万別あると思います。健康に気を使って長生きしようとしてるのに33歳で終わりなんてまっぴらごめんだよ、妻子もあるんだ、33歳では死ねないよ、という人もあれば、たとえ短命でも何らかの事を成したい、という人もあるでしょう。あなたはどちらですか。福沢諭吉は「とかくあまり人生を重くみず、捨て身になって何事も一心になすべし」と言っています。あまり人生を重くみず、とは大胆な意見ですよね。アメリカの小説家O・ヘンリーは「人間にとって大切なのは、この世に何年生きているかということではない。この世でどれだけ価値のあることをするかである。」と言っています。ルソーも「生きるとは呼吸することではない。行動することだ。」と言っています。どうやら福沢諭吉、O・ヘンリー、ルソーの3人は「何事か成すべし派」のようですね。あなたは、「幕末やフランス革命みたいな危機的状況になれば俺も頑張るよ」と言うかもしれません。そんな冷たいことを言わずにあらためて考えてみましょうよ。現代はそんなに平和の完成された時代でしょうか。

  • 23.無限金持ち

    無限宇宙とかいう言葉なら聞いたことあるけど、無限金持ちなんて聞いたことないぞ。そうです。前回、究極のしあわせについて考えたので、さらなる思考実験をしてみたいと思います。今回は、あなたが無限金持ちだったら、です。つまり、使っても使ってもお金がなくならないのです。マイクロソフト社会長のビル・ゲイツ氏の個人資産は推定で500億米ドル(約6兆円)だそうですが、あなたはそれ以上なのです。宝くじにあたったら賞金をどう使いますかというのとは、ケタが違います。まず豪邸は建てられますし、たいていの物欲は満たせます。経済的安定があるので、異性にも結構もてるでしょう。良いことをしたければ多額の寄付や基金も際限なくできるでしょう。しかし問題はそのつぎです。あなたは今している仕事を止めますか?勤めている会社を辞めますか?お金はあるんですよ。仕事をしなくても生きていけます。働くことを止めますか。ちなみに私の親戚の男性は、「どんな仕事でも、仕事を通して生きがいを得たいので、いくら金持ちになっても働くことはやめたくない」と言いました。なるほど・・・人間とは不思議なものです。ではもう一歩進んで、どんな仕事がしたいですか?あなたは経済的な束縛から脱したわけですから、あなたの好きな仕事を選べばよいのです。転職に失敗しても困ることはないし、起業してもいい。失敗して会社が倒産しても、無限金持ちなんだから借金苦になることはない。事業計画書を練り直して再起業すればいいわけです。まさに天下無敵ですね。それくらい自由な状況で、あなたは何を職業としたいですか?お金はあるのだから、収入がよさそうとか安定しているなどという理由で選ぶこともないし、専門技術が必要な職業なら学校にだって経済的心配なしで何年でも通えます。さあ、だんだんこの思考実験のむずかしさに気付いてきました。ポイントは2つです。ひとつは、本当にしたい仕事とは何かを考えるのは簡単ではないということです。すでに無限金持ちのあなたに金銭的成功は意味がありません。金銭以外にあなたが「仕事に求めるもの」が問われるのです。しかも、お金は無限にありますが人生の時間は限られています。もうひとつは、私たちがいかに経済的な理由で自分を納得させているかです。明日のご飯を食べるため、安定的収入を持続させるため、デート代のため、親に心配をかけないため、学校の同窓生と比べて見劣りしたくないため・・・。それらの理由をすべて消し去ったあとに残るあなたのしたい仕事は何ですか?

  • 22.究極のしあわせ

    わたしがよく人にたずねる質問を、あなたにもたずねてみたいと思います。それは、「あなた個人にとって、究極のしあわせとは何ですか。あなたの人生が今後、どのような状況になったら、喜びと満足感に満たされる究極のしあわせを得られると想像しますか。」ということです。モデルのようなルックスになることというような魔法のようなことは考えないで、現在の条件は変えずに将来像として考えてみてください。この質問に私が答えを用意しているわけではありません。純粋に好奇心でおたずねするのです。どうですか。きれいな奥さま、あるいは素敵な旦那さまと結婚し、かわいい子供たちに囲まれて、有名建築家がデザインしたような豪邸に住み、趣味の部屋をつくり、3台ほどある高級車を気分によって乗り換え、かつ、自分の仕事もやりがいがあって収入もよく、知名度があり、仕事を通じて人々から尊敬される。そんな状況ですか。それとも、海外を転々としながら、簡単だけど儲かるフリーの仕事で旅行気分を楽しむこと、ですか。それを否定しているのではありません。念を押したいことは、もしそれがあなたにとって究極のしあわせだとすれば、そういう状況になったら、あなたは完全に満足するのですね、ということです。ほかに何も望むことはないのですね。しかし豪邸を自慢できるのもたかだか友人10人ほどではないですか。その後はどうするのですか。ホームパーティーを毎週開くのですか。広いリビングでくつろぎながら、あなたは何をしたいのですか。大手広告デザイン会社で働く友人にこの質問をしてみると、彼はいろいろ思いをめぐらせましたが結局答えが見つかりませんでした。広告年鑑に顔写真入りで作品が掲載されることか?デザインの雑誌に気鋭のアートディレクターとして紹介されることか?と質問しても、彼はNOと言います。「そんなことはどうでもいい。」と言うのです。彼はよっぽどの変わり者なのでしょうか。また違う人物はこう答えました。「田舎の○○県に住んで、歴史の勉強をすることかなぁ。」歴史の好きな彼の究極のしあわせは、静かに歴史の勉強をすることなんですね。先日、ある盲目のギタリストのライブに行きました。そこでわたしは、ふと、この質問のことを考えました。彼の究極のしあわせは何でしょう。成功してハリウッドにどんなに広大な豪邸を持ったとしても、彼にはそれが見えないのです。お城のように広すぎる屋敷も彼には不要かもしれません。もしかすると、彼には、好きな音楽に没頭できる環境と、横で手を添えてくれる人がいることが究極のしあわせかもしれないのです。あなたの究極のしあわせは何ですか。

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  • 21.後世のことを考える人々

    歴史物のドラマを見たり小説を読んだりして私がおもしろく感じるのは、昔の人々は、自分の人生が、後世の人々にどのように見られるか、語られるかをとても気にしていることです。後世の人々に笑われないように、後世に名を残すように、歴史上の登場人物は、のちの世間体をとても重要視しています。戦国武将が大義を失うと、兵たちの信頼や人心を失うという意味で世間体を大事にするのは想像に難くありません。でもなぜ後世のことまで気にするのでしょう。「家」の存続が大事という点で、子々孫々までの家の繁栄を考えていることも大きいでしょう。神仏への信仰から、良き行いに根拠を置いて生きることに、より真剣だったのかもしれません。どんな理由であれ、長い歴史の時間スケールのなかで、今の自分の行動を見つめる視点は大切ですよね。現代の人々のなかに、「後世の人々に尊敬されるように、後世の人々に恥ずかしくないように」と考えて人生を生きている人がどれほどいるでしょうか。自分の胸に手をあてて考えてみても、とても「後世から見て恥ずかしくない生き方をしている」と自信をもって言い切れません。あなたも、この世に生のあるうちに、快適さや幸せをできるだけ多く享受したいと望んでいる自分を発見するのではないですか。後世の人々が、どのようにあなたを語るか想像してみてください。あの人は、このような性格で、このような人生を歩んだ人だったのだよ、と話されるのです。どうでしょう。あなたは、後世の人々が敬意を払ってくれるような、誇らしい人生をおくっていますか。後世の人々が、あの人は立派だった、あの人のおかげだ、と言われることをしていますか。それとも、あの人は自分の快適さだけを求め続けて一生を終えたんだよと言われますか。どちらでしょう。しかし、こんなふうにたたみかけても、反発をおぼえる人もいるでしょう。「世の中は厳しく、自分のために生きていくだけで精一杯だよ。後世の人にどう見られるかなんて私と関係ないね」と。本当に関係ないのでしょうか。個人ではそうかもしれませんね。でも全体ではどうでしょう。私たち、今生きている人のほとんどは100年後にはほとんど生きていません。世代が変わっているからです。私たちの世代は、次の世代に恥ずかしくない行動をしているのでしょうか。人類の責任ある中間ランナーをしていると言えるのでしょうか。

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