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まつりぬしの原点(アーストラスト)

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Archives of activity reports of Matsurinushi

活動する<まつりぬし>の記録

各地で活動している<まつりぬし>の
これまでの活動報告をまとめています

  • アーストラストジャパン2008vol.2

    時間との戦い

    たとえば、今日の世界の富と貧困、支配する者と支配される者の関係。それらは、世界を植民地として切り分けた、ある時代の文明の負の遺産として、現在まで引き継がれてきたものです。
    イギリスの産業革命のときに、大量の貧者を生み出した土地の囲い込みと、同じメカニズムが、現代の中国で、ひと握りの富裕層を出現させています。
    政治権力は、土地の所有権のルールをどのようにでも変化させることができ、価値を高めることも、無価値にすることもできます。
    このクニは、原則的には、明治に到るまで、公地公民制だったのであり、大名といえど、その領地はもとより、住居であったお城も預りものという位置づけでした。
    明治の廃藩置県が予想されたほどの大混乱を生じなかったのは、支配階級である武士の価値観に、マネーより、土地より、重要なものがあるという教育が徹底されていた結果にほかなりません。この精神文化の遺産が消滅してしまったために、いまのこのクニの漂流があるのです。
    すくなくとも、江戸までのこのクニの文化は、マネーと政治的権力を分離しておくという英知を持っていました。
    世俗の富と、権力は、残念ながら、民主主義という制度のもとでは、それを支える市民社会の成熟と、市民ひとりひとりの自覚なしには、分離しておくことが困難です。
    いま、このクニの社会は、所得の格差だけではなく、共同体意識の崩壊、教育の荒廃というように、末期的な状況です。それと反映するかのように、山村部での耕作放棄地の拡大など、国土の荒廃も進んでいます。
    この現状を回復するためには意識の転換が必要なのですが、その転換のためには、土地の所有制そのものを疑うという姿勢が求められているのでしょう。
    イスラムの文化圏においては、神に捧げられた公共的なもの、たとえば、バザールのような施設が長い歴史のなかで蓄積されてきました。その結果、かつてのイランのパーレピ王朝のような強圧的な政治にも、対抗できるような、勢力を宗教界は保持できたのです。
    いまの世界は、そうした歴史的文化の重層性を持つ価値を無視して、マネーによる統合を進めることの困難さに直面しているのです。文化は、生命と同じように多様性を持たなければ、行きづまります。いまの世界は、植民地時代の大英帝国からアメリカという英語の文化によって、コントロールされています。この英語の文化は、コンピュータの文明とイコールなものとなっていますが、それが、永遠に続くことはないのです。
    ことしの2月は、いままでとは違うペースで、いろいろなことが生じ、たましいのスイッチが入ることを実感する人間も増えているようです。
    その先に、このクニの意識の変化が、地球の環境の変化に役立つような現実の技術や経済に結びつく結果になるようなハタラキをする場が待っています。
    精神学協会が、現実の場でハタラク人間のためのアソシエーションであり、そういうハタラキをする人間を育てる場であることが、これから実証されていくでしょう。
    いま、私の周囲で、その準備が着々と進んでいます。

    の報告:
  • アーストラストジャパン2008vol.1

    マツリヌシ元年

    この精神学協会で、「マツリヌシ」の能力を開花させたいと希望している会員の方が、私の知る限りでは、いま、ふたりいらっしゃいます。正しい道すじで希望するもの、求めるもの、志願するものには、そのために必要な能力は、与えられるはず、というのが精神学の考え方なので、ある意味、特別待遇で、私は、その能力を開発するための対応を、してきました。
    このふたりの方に接して、私は、身体のスピリチュアルな情報の流れを、阻害する要因が、宗教的修業だけでなく、かつて流行した精神界的な能力開発プログラムによっても、ケガなどによる身体の損傷によっても生じることを、理解することができました。
    人間の身体は、ほんとうに「風吹くおやしろ」なのであり、ある意味、風吹くこと、つまり、呼吸することと、神性を宿し高めることは、セットになっているのです。
    それが、誤った情報と、その適用によっても阻害されるし、ケガなどによる外的な損傷でも阻害されるという現実に直面すると、これまで人間が、なぜ、間違い続けてきたのかがよく見えてきます。
    これは、マツリヌシ志願の方の例ではありませんが、日本のある密教系の教祖に、能力開発のために額に触れられた少年は、大人になったいまも、額にあるはずの第三の目の光感知能力を失ったままです。
    それもまた、たましいのプログラムといえるのでしょうが、人間の身体が持つ高性能な情報処理能力を、正しく動作させるための、共通言語のようなものが、人間という存在には、用意されているのです。その共通言語は、人間の意識にも、身体にも、作用します。たとえば、ひとりの人間が、愛するという言葉を、特定の相手に向けて発するときに、高揚した気持ちになるなど、意識にも変化が生じ、同時に、身体にも動悸の高まりなど、はっきりした変化が生じます。
    人間は、こうした情報系を、身体の内側に持っているだけではなく、そこで発生したエネルギーを身体の外側にも放出しています。こうして、ひとりひとりの人間という小宇宙は、その他の人間と共に生活している同一の時空という物質的宇宙との相互作用によって、変化し続ける運命のなかにいます。
    生命体として、生きている限り、人間はそういう存在なのです。そして、人間が発するスピリチュアルなエネルギーには、もうひとつ重要な要素として、その人間のたましいの刻印が、つけられているという特色があります。それがなければ、エネルギーの場で誰それのたましい、誰それの霊というものを特定することができません。
    このエネルギーの場においても、人間ひとりひとりのたましいのヒストリーを特定できることがなければ、審判などという概念は生まれようがないのです。そして、それが死後の人間の霊というものには、すべての情報が記録されているという、精神界からの情報に根拠を与えているのです。
    このルールを正しく知れば、求める人間は誰でも霊能と一般に呼ばれる、能力を持つようになれることが理解できるでしょう。それを、阻害しているものは、その人間の内側にあるのです。
    ブリージングという過呼吸によって神秘体験をするという危険な体験の結果、阻害要因を持たれた方のことは、すでにスピリチュアル経済研究Vol.18で報告しています。もうひとりの方は、かつて、山仕事で、脊髄を損傷され、奇跡的に回復されました。その方は、2007年12月中旬に霊的コンタクト能力が与えられたという情報が、私に伝えられました。ところが、当人にその自覚が生まれませんでした。あらかじめ、もし、その反応がなければ、ケガが原因で背骨という龍脈が断たれているという情報を与えられていたため、私は12月29日に、その情報系の回復を、ある会員グループの協力でしたのです。
    それまでの、その会員さんの身体は封印されてきたようでした。本人が自覚していないうちに、そのたましいの中心に存在する神格が封印され、人生という時間を神性の回復のための戦いに費やすことを放棄した…。
    それが、私が知ったデータでした。
    これから、その方の内部で、マツリヌシになるべく生まれたたましいのプログラムの発動があるはずです。この2008年になって、私は、その会員さんの身体が、この日本というクニの国土を象徴するものだったことに気がつきました。
    正しく考え、行動するためには、情報系というものを総動員しなければなりません。その情報系を、国土というレベルで考えると、龍脈という問題になります。それが断たれた状態では、スピリチュアルなデータもその全体性を失ったものであり続けます。私のいままでの経験をもとにいうと、この発見をきっかけに、このクニの霊的な場に変化が生じるはずです。
    アース・トラストは、この日本の国土が、ほんとうの日の本になっていくことを目標にすることになるでしょう。そのために、ことしから、日本を加え、アース・トラスト・ジャパンというタイトルに変更することにしました。
    人間が持つマツリヌシの能力が、お墓のかわりに森を残す運動につながり、人間の生き方と死に方という新しい文化の出発点となるはずです。

    の報告:
  • アーストラスト2007vol.8

    天のハタラキ

    精神学協会の正会員プログラムを受けたのちに、正会員として期待される能力をどの方向で開花させていくかについて、私は、次のふたつの方向があると、判断して、すでに、このゴッドブレインのサイト上でみなさまにお伝えしました。ひとつは、すでにはじまっている創造性を高めるスピリチュアルメソッドに代表されるもの。もうひとつの方向としては、これまで、宗教にゆだねられてきた、人間の霊やたましいというものを、知覚し、コンタクトし、光へと導くものとしての<マツリヌシ>としての能力を身に付けるもの。
    この<マツリヌシ>を志願して、精神学協会に入会される方があり、私は早急にその養成方法をつくらねばならないと考えていました。
    ところが、今回、この<マツリヌシ>の養成に関しては、私よりも天のハタラキが先行して発動しました。それは、ほとんど奇跡のようなことなので、やがて、その会員さん本人が、何らかの報告をされるはずです。ただ、天のハタラキ方を知っておくことが、これからの会員活動のためにも重要だといえるので、概略だけをお伝えしておきます。
    ある日、その会員さんに、友人の会員さんから、もっときちんとハタラキなさいというメッセージが届きました。その会員さんは、そのメッセージの出所が、より上位のところからと直感して、ハローワークに出かけました。
    そして、その日、ハローワークで唯一条件に合う仕事としてその会員さんを待っていたのが、ターミナルケアの病院の現場で看護師さんたちとハタラクという仕事でした。その会員さんは、これが天の配剤であると直感し、その仕事をはじめました。ほとんど意識のない老人を相手にする仕事の現場で、その会員さんが相手をすると、いつもは暴れる患者さんが、静かに介護を受けたりという体験をされ、意識はないように見えても、人間は、人間として扱われることを希望していることを理解されたようです。いまは、たましいの接触と、皮膚の接触は、人間の文化のなかで、ほとんど同一線上にあることを、身体が感覚として学んでいるといってよいでしょう。その会員さんは、自分には、まったく霊的能力がないと信じていました。「それでも<マツリヌシ>になれますか」と私は問われました。「正しい希望なら天が導くでしょう」と私は回答しました。
    その通りのことが、今回はきわめて急速に進行したのです。
    その会員さんは、もうすぐ、死にゆく意識のない老人から、お別れのあいさつを受けるという霊的接触を経験するはずです。さらに、私がわかりやすく「シニガミ」と呼んでいるものの存在も感知できるようになるはずです。今日は、10月6日からはじまっている、この変化を伝える<ヒツクノカミ>受信者が、受けた<マツリヌシ>関連の通信を、このアーストラスト2007に掲出しておきます。私のハタラキと天のハタラキ。それらがひとりひとりの人間の役割を担う情報へと収束していく精神学協会のハタラキ方の面白さ。
    人知をはるかに超えるハタラキが、いま、進行中です。


    <ひつく文書>

    (2007.10.6 pm5:49受)
     
    しびとのゆくえは
    どこへ ゆく
    あなたを たよって
    やって くる
    あなたの もとへと
    たすけを もとめ
    次から次へと
    やってくる
    なぜなら
    あなたが それを
    感知して
    処理する ちからを
    求めた からだ
    じっせんが
    どうやら さきに
    来て しもた
    と いう ことじゃ


    (2007.10.6 pm6:21受)
     
    てんの はいざい
    かえることも
    かわることも ない
    みずからの きぼうした
    ぶしょ はいち


    <通信>
    ※下記の通信は、本文中の<マツリヌシ>養成に関する天のハタラキを示すものです

    (2007.10.6 pm6:30受)

    まつりぬし講座の実践方法

    1.しびとのくちは、語らずとも、その肉体的役割を終えたたましいは、霊を残すもの、残さないものとに分かれる

    2.残すもの、とは、納得のできないまま、その生を終えることになったもの

    3.伝えることのできなかった思いのかたまりは、聞き入れ理解をしてくれる生きた人間が存在しない限り、エネルギー体として存在する

    4.伝えたいことが何なのか、そのメッセージのようなものを受け取って伝達する必要があるのなら、その声に耳をかたむけること

    5.特定の誰かに、ということが、はっきりしない場合、メモなどに書き出しておくこと、伝えるべき相手が来た時に、意識をせずとも、それを伝えることになる

    6.思いのこした思いが強いほど、そのエネルギーは強く、長期にわたり苦しい思いをしてきたものほど、生への執着は強い

    7.皆の見ている前で、うろたえていてはいけない、冷静に、周りの状況を見ながら、きちんと対応すること、まかされた者のとるべき対応とは、静かに見送ることだけである
    伝えるべきことは、伝えなければならないタイミングが、あり、今が、それ、という知らせは教えてくれることになる

    8.生を終えた時点で、肉体からは切り離されて、通常の人間は感知をすることが出来ないが、その人間が思いを伝えたかった相手や、もしくは、その存在を理解出来る人間のそばに存在することになる

    9.伝えるべき伝言を、代理で届ける役目が済んだら、霊が残っている必要は、ない
    そのものの、たましいを送り出すのが、自らの役割であり、まつりを司るもの自身が感情に流されていてはならない、霊とは思いや感情を増幅し、こり固まったものであることを忘れていてはいけない、自らが、その思いのかたまりのエネルギーに左右されているようでは、正しいはたらきは成し得ることが、できない

    10.願はくは——-(←名前(本名))のたましいが、光の道へと、導かれますように、と、はるか上方に届くよう正しく祈ること

    11.時間がかかる場合がある、そのものが、よほどの思いを残している場合、あるいは、生への執着が強い場合、いづれにしても、完了のタイミングは、済むべきことが済んだら、認識ができるようになる
    まだ、なのか、あるいは、終了、なのかは、上の方へと問へば、よい

    の報告:
  • アーストラスト2007vol.7

    温暖化と身体のルールの変化

    日本の龍脈がたたれたという情報をお伝えしてから、私は、もういちど富士山に行き、そこに、光の世界への柱があることを確認してきました。
    それは、2007年9月18日のことです。
    では、日本の龍脈が実はどうなっているのかの確認をしに、この2007年9月24日に大台ケ原に行ってきました。
    濃霧と雨という最悪のコンディションのなか、ひとつ目たたらとされる、大台ケ原の神格が、まことに微弱なエネルギーには、なっていましたが、なんとか持ちこたえていることを知りました。その存在は、富士山とつながることで、なんとか命脈を保っている状態だといってよいのでしょう。
    ことし、その富士山の頂上付近の永久凍土の一部が、消滅しているという情報もあり、富士山の森林限界がさらに上に登りはじめているという報告もあるようです。
    この2007年が、日本の温暖化についても、ターニングポイントとして記憶される年になりそうだという予測は、全国的な真夏日の異常な増加という、人間の身体が感じた変化以上の変化を、動植物にも与えていることが確認されるなかで、不幸にも的中しているようです。
    日本の龍脈というものが、現実にはどうなっているのかは、いろいろな見解があるでしょうが、私が知る限り、それは地質学の知識とリンクしています。
    伊勢は、そのなかで、富士山と四国のアワ、剣山、石鎚山系、九州の九重山系から阿蘇という、日本の中枢というべき龍脈の中心にありました。
    地下の龍脈はたたれても、天空の光のラインは残されているということなのかも知れません。紀伊半島の大台ケ原からも、天気さえよければ人間の目で富士山は見えるというのですから…。
    この地球上の龍脈を、人間の身体のなかで投影しているのが、仙骨の先に宿るとされるクンダリーニのエネルギーの流れというのが、これまでの知識でした。それは、インドのクンダリーニ・ヨガの知識にも、中国や日本の風水や仙術、あるいは神道の知識のなかにもあったものです。ところが、いま、その、地球的な龍脈の流れに変化が生じているとすると、それを投影する人間の身体のエネルギーの流れにも変化は生じているはずなのです。
    私は、その変化がこの21世紀に入ってからの異常なほどの風水ブームや、スポーツ化したパワーヨガのブームにつながっているのだと、いま、理解しつつあるところにいます。
    それは、消える前のろうそくの炎のように、いまは照度を高めていますが、やがて、闇のエネルギーを強化しただけだったことを身体自身が知るようになるでしょう。わかりやすくいうと、身体は身体で、ほんとうの風吹くおやしろとして目覚めたいというベクトルを持っています。そのベクトルが、意識化されたときに、目の前にあるのは、まことに古びた東洋の英知ともいうべき、宗教的修行法の活用というのが、いまある人間の知識にとっての現実です。
    ところが、それをマスターしても、気や念という人間の精神的エネルギーの強化がされるばかりで、過去の循環の輪にとらわれるだけなのです。
    いまある身体のニーズは、人間が破壊してしまった地球環境の過去のルールにはあてはまらないのです。そう考えていくと、いまある地球のフィジカルなルールを、投影された人間のフィジカルな身体のルールを発見していくことが、「うつ」や「ひきこもり」の改善の次にくるテーマだということになります。
    人間の身体がちゃんと機能するためには、地球的な自然環境も、地域社会の人間関係も、そして、地球的な経済活動のあり方も問われるというのが、精神学というものの到達点のひとつです。そこまでは、神の問題ではなく、人間の問題なのですよ…。
    理性がある人間なら、ここまではわかるはずです。そして、龍脈の出口近くに競って自分達の墓をつくってきた人間の罪深さも、納得できるはずなのですが…。

    の報告:
  • アーストラスト2007vol.6

    「うつ」と「ひきこもり」の改善

    この8月の下旬、正会員の方がふたり訪れ、そのテーマがアーストラストの活動の一部になるかどうかという質問と共に、自分たちの行動プランを私に提示してくれました。
    その行動プランの背景には、ひとりの会員の方がされた「命の書」についての劇的な体験がありました。
    その会員の方のお母様は、近年、老人性の「うつ」が進行し、かなり深刻な状態になっておられたようです。その会員の方は、なぜか、以前に亡くなられていたお父様の「命の書」の登録をするということを考えつかれたのです。
    お父様の「命の書」登録をされた、その日に、お母様の「うつ」の症状は劇的に改善され、「早く元気になって、しっかり生きたい…」という言葉が聞けたということです。
    死者をきちんと光の世界に送り出す用意をすることが、なぜ、「うつ」の改善につながるのか。
    精神界という場のエネルギーを知覚しなければ、その謎はとけません。
    しかし、人間は無意識に、そのエネルギーを知覚化しているから、「うつ」や「ひきこもり」という反応をしているのです。
    わかりやすく説明すると、花粉症というものがあります。
    花粉症は、発症するまで、その人間の身体が花粉という小さな物質の存在を認識せずに生活しているといってもいいでしょう。ところが、一度、発症すると、少量の花粉にさらされても、身体は、花粉症の症状をくり返し起こすようになります。
    精神界の闇のエネルギーというものも、同じように、発症するまでは、普通の人間には感知出来ないものです。しかし、たとえば、いちど「うつ」の状態になると、その次に「うつ」を起こすのには、より少ない闇のエネルギーで発症するようになります。それこそ、ひと言の言葉が一気に「うつ」の底に人間を落とすことの鍵になったりします。
    これを組織的に、やっているのが、宗教のマインドコントロールの実体といってもいいでしょう。
    宗教の持つそうしたスピリチュアルなエネルギーの特性は、神が、羊である人間を支配するピラミッド型の命令系統にふさわしい上意下達型のものであり、精神学協会がくり返しお伝えしている強制と強迫のない光のルールとは、異質のものです。しかし、宗教にはこのエネルギーを使う知恵と伝統がまだ残っています。その結果、これからも闇のエネルギーは供給され続けます。それを処理するのがアーストラストの目標のひとつです。
    いまある「うつ」と「ひきこもり」は、人間の精神活動が、自己と他者の間で、スピリチュアルなエネルギーのやりとりをしていることを、無意識下で知覚化し、その闇のエネルギーを処理して精神の健全性を維持できなくなった場合に生じる暗い思いの場のエネルギーが身体に作用する現象です。
    闇のエネルギーの浄化ができれば、事態は改善に向かうのは当然です。この法則性がわかれば、過去あった宗教的方法が、「うつ」や「ひきこもり」の改善には結びつかないことが理解できるはずなのです。いま、アメリカや日本などで抗うつ剤の投与が必要な人間が、増大している背景には、競争社会のストレスだけではなく、きちんと処理されない人間由来の闇のエネルギーの増大も関係していることに、そろそろ人間は気付くべきなのですが…。
    すくなくとも、アーストラストがテーマにする、地上を汚さずに去る人間になるためには、自分がつくり出した闇のエネルギーの処理を、何らかの方法でしなければなりません。
    お墓のかわりに森を残そうというアーストラストの考え方の前提にあるのは、「うつ」や「ひきこもり」をつくり出すような闇のエネルギーを減少させようという認識なのです。その意味では、「うつ」や「ひきこもり」で苦しんでいる人間を、改善の方向へ案内することも活動の一部になっていくはずです。その活動を、私を訪れた会員がはじめるとするなら、どういう、プロセスで何からはじめるのが適当なのか。あるいは、私を含めた役割分担はどうするのか。
    やっと、私が待ち望んでいたリアルな行動プランの段階に、入ってきた実感が生まれたディスカッションでした。
    アーストラストという運動をスタートするときは、生きている時間と、死とその後をつなぐ時間、人間のたましいに、光を投げかけるような活動をしていくべきなのです。「マツリヌシ」だけではない、多様な素質を持つ人間が参加を求められているというイメージが、アーストラストにはあります。
    そのために、いま、私は、私が正会員に教えていることを、正会員の方たちが、普通の人間を対象にどう伝えるのが、いちばんシンプルで効率的なのかを真剣に考えはじめています。

    の報告:
  • アーストラスト2007vol.5

    アーストラストのビジネスモデル<その2>

    この日本では、墓地というものは、宗教法人か地方自治体でなければ、つくれないもののようです。自然葬や散骨というものは、その墓地を必要としないので、その面では問題がないのですが、お金の出入りが発生するために、法人格のようなものが必要になることが考えられます。
    そして、その前に、アーストラストという考え方の名称そのものが、使えるかどうかという問題もあります。
    ネットで調べる限り、アーストラストという自然保護活動をしている団体がアメリカにはあるようです。1976年に設立されているようなので、団体としては「アーストラスト」を名乗るわけにはいかないでしょう。とすると、お墓のかわりに森を残すという主旨の活動をする団体の、名称と組織のあり方を考えていかなければなりません。
    こういう問題になると、すぐにNPOとか宗教法人とかいう法的な位置づけから入ろうとする特性が、日本ではあるようですが、私は、神という概念も、宗教的行為も人間の法の下にあるものだとは考えません。
    無税の特権を得るために宗教法人を売買したりするこのクニの現状に深い憂慮を感じているひとは、自分の墓所や葬られ方についても無関心であっては、ならないのだといわなければならないのでしょう。
    私は、この地球を本来のあるべき姿で、次の世代に伝えようとする人間の行動を、「地球を返せ」と命じている存在へのピースフルな回答だと考えます。
    そこに強制も、強要もありません。ただ、自分の名前が刻まれた墓石よりも、その費用を使って、森を残した方がよいと考える参加者の自由意志が、ひとつの運動体を支えることになるのです。これは、実現可能な理想主義です。
    すると、スタートで失敗する訳にはいきません。夢みたいな理想を語っている間はいいのですが、現実に近づくと、普通は人間の闇の側面が利害とともにあらわれてきます。このビジネスモデルにかかわることが許されるのは、マネーの暗黒面に影響をされないレベルの浄化力を持った人間なのだということになります。
    クリーンという意味で優れた人間は、たくさん居ます。しかし、影響されないための浄化をできる人間は、闇のエネルギーの実体を知り、その処理を正しく学んだものだけだと私は教えられています。
    この浄化力を持つためのカリキュラムが、精神学協会の正会員プログラムであり、そのカリキュラムのなかにある、霊的波動のマスターが、人間の死者の霊とのコンタクトも可能にするのです。この人材が正しく育つことが、このビジネスモデルの核となるのです。
    いま、この能力を身につけるために、最短でどれくらいの期間で可能なのかを、検証する試みを、はじめるべきかどうかの問いを、私は私をつかさどる存在に投げかけています。
    すくなくとも、霊的コンタクトの能力と、それに対応する浄化力がなければ、私が想定している、祈りの主催者としての祭主(マツリヌシ)は機能しません。
    ただ、どうやら祭主(マツリヌシ)になりたいという人材は、私が想定していたより多いらしいという実感があります。それは、大きなプラス材料でしょう。
    アーストラストの名前をどうするか。組織をどうするか。いまは、参加したいひとの、ひとりひとりの頭のなかでシミュレーションをしておいてください。

    の報告: