日本まつりぬし協会特別事業
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Archives of activity reports of Matsurinushi

活動する<まつりぬし>の記録

各地で活動している<まつりぬし>の
これまでの活動報告をまとめています

  • Vol11

    〈まつりぬし〉の「光への送り」
    魂が主役となる、光への送りの儀

    岐阜県美濃加茂市にお住まいの精神学協会会員・橋爪さんより、「光への送り」をまつりぬしにご依頼いただきました。
    喪主である橋爪さんのご尊父様が他界された際、「一般の葬儀ではなく、まつりぬしによる光への送り」と、以前からの希望があったのです。

    儀式が行われたのは5月下旬。
    春の名残と夏の気配が入り混じる季節、自然界と霊界の間(ま)が開かれる、まどろみのようなとき。
    この象徴的な時期に、4名のまつりぬしが現地に赴きました。

    まず私たちは、喪主と共に地元の氏神様を参拝し、今回の葬儀にあたりお力添えをお願いしました。
    その後、祭場にて場を清め、ご尊父様の御体に秘蹟のオイルを塗布し、唇には聖水を施して、通夜祭を執行しました。

    儀式の準備段階で、喪主より故人の人となりを語る文を預かっていましたが、内容があまりに簡素だったため、式直前に修正を行いました。
    まつりぬしにとって、故人の魂がその人らしさを取り戻すことは非常に重要だからです。

    また、進行中に不思議な出来事が起こりました。
    喪主の甥(亡き妹の長男)が突然胸の痛みを訴え、祭場に入れなくなったのです。
    祭主の若崎さんが視たところ、それは亡き妹様の魂が息子のそばに寄り添っていたためでした。
    イコンシールとオイルによりその霊的干渉を鎮めると、痛みはすぐに引きました。
    式の途中、私自身も故人の人となりを紹介している際、胸が熱くなり、自然と涙がこみ上げる場面がありました。
    まつりぬしによる『光への送り』では、生者と死者、まつる者とまつられる者の魂が共鳴する瞬間が、確かに存在するのです。

    そして儀の終盤、故人ご自身の魂がまつりぬしを通じて、家族や場に向けて「ありがとう」と感謝を伝えてこられました。
    それは、言葉ではなく、場を通して「伝わってくる感謝」の波動でした。

    参列者の多くにとっては、目に見えない出来事であったかもしれません。
    しかし、このすべてが「まつりぬしによる光への送り」であり、
    それは 死者を“送り出す”のではなく、“本来の主役として祀り上げ、導く”儀式なのです。

    今の世には、形式的な葬送で十分に癒されない魂があふれています。
    まつりぬしの『光への送り』では、魂そのものに働きかけ、「本来の在り処」へと導きます。

    今回は、ご尊父様だけでなく、甥の母にあたる亡き妹様の魂も、まつりの場に現れました。
    この二柱の魂がともに現れたことにより、家系に刻まれていた深いカルマが浮かび上がり、まつりぬしによる「光への送りの儀」を通して、 “魂の卒業”という形で、その因縁が解かれたのです。

    精神学においては、「命の書」への魂の登録と、「光への送り」の儀が一体となることで、家系のカルマを修復し、魂の軌道を再構成することが可能になります。

    「未来とは、修復された過去である」
    この言葉の通り、今回の「光への送り」は、過去からの荷を下ろし、未来へと進むための転機となりました。

    Vol11
  • Vol.4

    20日後に見つかった孤独死の部屋
    <まつりぬし>にしか出来なかった遺品整理 その4

    ご遺族より、正式に遺品整理のご依頼を受け、現地に赴きました。 夏の炎天下に孤独死され、二十日間ご遺体が放置されていた部屋の遺品整理は、これが初めてでした。四階建てのアパートの2階が故人の部屋です。

    アパートの前に立つだけで、鼻を突く腐敗臭が放っていました。 部屋に入った私たちは、この惨状に驚愕するのでした。
    同行した特殊洗浄業者が、直ちに殺菌消毒並びに除菌・消臭を施さないと、遺品整理は困難ですよ、と言われ、五日間に及ぶ作業の後、遺品整理に入りました。

    マツリヌシとして、故人の『命の書』への登録は元より、注意事項等を入念に打合せし、『守護札』を携帯して、部屋の扉にイコンシールを貼り入場しました。
    私を含め、四名のマツリヌシによる遺品整理?ならぬ生活ごみの分別回収から取り掛る始末です。分別品は見る見るうちに軽トラック2台分をいっぱいにしました。
    事前に連絡してあった応援要員(特殊洗浄業者)が加わるのを待つこともなく、一旦現場を離れ、ごみ収集場に向かいました。

    作業も捗ると思うや否や、収集場から帰ってきた私の目の前には、応援要員の3名が緊急避難?その内の1名はマツリヌシにより介抱されている有様でした。その様子を見兼ねたご近所様からは冷たい飲み物と、日陰の場所を用意していただいたので、一旦休憩を入れることにしました。
    その後、生活ごみの搬出を終え、ようやく導線も確保され遺品の持ち出しが可能になりました。七割片、片付けが完了したこところで初日の作業を終えました。所要4時間を費やしました。

    翌日は、約3時間程で作業を終了しました。三日目に総仕上げをして、最後に故人が絶命した場所の拭き上げをし、その場所をSEKI塩で清め、手を合わせ『○○様が光に導かれますように』と祈りを捧げ、部屋を後にしました。

    この度の遺品整理では、入念な打合せをして挑んだにもかかわらず、私の不徳の致すところにより、3名に危害が及んだことを猛省いたしました。それは『守護札』を渡すのを忘れていたことが原因でした。

    現代の風潮において、孤独死とは、他人事ではないことを痛感しました。
    一人死時代の終活サポートは急務です。それも業務の一端として邁進するのもマツリヌの役割であり、志事なのです。

    Vol.4
  • Vol.3

    20日後に見つかった孤独死の部屋
    <まつりぬし>にしか出来なかった遺品整理 その3

    遺族の話によれば、警察署に安置されていたご遺体は、霊柩車で火葬場入りして荼毘にふし、御遺骨は、親族の住む東京の霊園に安置するとの事でした。
    近年では、直葬(ちょくそう)と言って、火葬だけを執り行い葬るというケースが急増しています。時代の変化並びに孤独死の急増も相まって、宗教儀式も執らず、親戚等の弔問を受けることなく、しめやかに家族だけで弔う、葬送スタイルを否定するつもりはありませんが、 何故か腑に落ちず、違和感を持ちました。
    そこで私は喪主にこう告げました。『慚愧の念を持っているだろう故人にむけて、私が学んだ儀礼をもってお送りしたいのですが』と伝えました。
    するとご親族は、深々と頭を下げ、快く快諾してくれました。

    直葬の早朝、事務所で『光への送り』のテキストを参考に、故人にむけた儀礼文を作成し、一行一行を食い入るように目を通し、何回も読み返しました。

    約束の時間前にもかかわらず、親族は火葬場の正面玄関で、私の到着を待っていました。 館内は火葬の順番まちで、ほぼ満席状態。腰掛ける椅子もなく、棺が到着するのを立って待つのでした。火葬場には何度か足を運んでいますが、満席の館内を見たのは、この時が初めてでした。
    そして棺が到着し、私達は待合室に即、案内されました。
    通常ならこの待合室で、親族は故人との最後のお別れをするのですが、棺の蓋が開くことはありませんでした。
    早々に、あいさつしてから、簡単な故人の紹介、そして、はなむけの儀を終えたところで、出棺の準備が整い、そこでさいごに いのりのことばを となえて お見送りをしました。

    余談ですが、『光への送り』故人向けへの儀礼文作成中、終始背中に悪寒を感じていました。多分ですが、故人が私に折り重なり、私の目を通して『光への送り』を食い入るように確認していたのだと思いました。
    文章を書き終えたら、背中が楽になったのを覚えています。

    Vol.3
  • Vol.2

    20日後に見つかった孤独死の部屋
    <まつりぬし>にしか出来なかった遺品整理 その2

    知人の店を後にした私は、孤独死の現場付近へ、現地踏査に向かいました。
    付近を通りかかった頃、私の頭の中に或る楽曲が流れるのです。
    その楽曲は、馴染のない曲なので、私の意識由来のものではないことは直ぐに分かりました。 そして、その曲が最高潮に達した時、現地に到着しました。
    異臭放つその場所は、岐阜の歓楽街の東の外れに佇む、鉄筋3階建ての古いアパートでした。 部屋を特定した私は、その場所を離れ、知人に電話をしました。
    『こんな楽曲が、私の頭の中で木霊したけど、何か心当たりありますか?』と、訊ねたら知人は『エッ⁈故人がよくカラオケで歌っていたと思う…どうして前島さんが…⁇』 私『多分、故人はまだ部屋に留まっているのでしょう…親族との顔合わせを急いでください』と、言って電話を下ろしました。

    数日後、親族と面談しました。
    お会いするや否や、とにかく早く部屋を片付けで下さい。と、私に力強く訴えるのです。
    その言葉に呼応したかのように、紹介者の知人、発見者の方々も異口同音に、現場の有様を語りだします。体裁を気にしてか、それともアパート管理者からの訴えもあってか、ご親族は私に『この話を聞かれたように、早々に片付けをお願いします。費用はしっかりお支払いしますので』と… そこには、故人の御霊に対しての配慮は一切ありません。
    私は徐に、遺品整理についての説明に入りました。
    その時、『申し訳ない。申し訳ない。本当に申し訳ない』と… 私は言葉を吐いたのです。 説明の途中、その言葉を吐いた私に、一同は『エッ!何がですか?前島さん』 ん?… 『今私、確かに言いましたよね?(沈黙)故人さんがおっしゃってらっしゃるのでしょうか?』ご親族(義姉)が『あらやだ、あの人、そんなことよく言ってたわ』その後、一同は、故人を偲んだ会話で、瞼を潤わしたのでした。

    そして、故人の部屋の鍵を受け取り、約2時間に及んだ面談は終了しました。
    帰路、車中で私は、面識のない故人の人となりを聞き、故人を回想してみました。
    こんな死に方をするつもりではなかった? 故人の慚愧の念が、私にあの言葉を吐かせたのでしょうか? その晩は、いつも以上に浄化と上昇に務めました。

    Vol.2
  • Vol.1

    20日後に見つかった孤独死の部屋
    <まつりぬし>にしか出来なかった遺品整理 その1

    九月二十日、三年ぶりの東京セミナーに参加するため、前日入りをした夕方の会食中に、一本の電話が入りました。
    電話の主は、知人で(喫茶店の店主・女性):『前島さん、私の友人(故人七十四歳)が二週間ほど連絡取れなったので、共通する友人に部屋を訪ねてもらったところ、ベットの下に、全裸で、うつ伏せになって亡くなっていました。ご遺族を紹介するので遺品整理をお願いしたいのですが?』という内容でした。
    岐阜に帰った翌日、その詳細を確認するため知人の店を訪ねました。
    憔悴した知人は、私を見るなりそれまでの経緯を話してくれました。
    故人とは、十五年以上の付き合いになり介護学校で知り合ったそうです。
    飲食店を経営していた知人のお店の、常連でもありました。
    故人は、五年ほど前から心臓の疾患で通院をしていたそうです。
    そんな身の上話が始まった時、急に鳥肌が立つほどの身震いと悪寒を感じ、私の身に何かが飛び込んできたことを悟りました。
    知人の顔も虚ろで、いつものような覇気がありません。私が『身体、大丈夫ですか?』
    と尋ねたら、故人の訃報を知ってから体調が悪くなり、病院にかかったところ、帯状疱疹を患ったとのことでした。
    故人が、知人に憑いていることを知った私は、『体調も悪そうなので一旦、日を改めましょうか?』と、尋ねたら、『明日から一週間、店を臨時休業にします』と、云い、辛い身体を押して、以下を説明してくれました。
    〇 七月の下旬、店に来た時の風体を見て、親族の連絡先をたまたま聞いていた。
    〇 その後、二週間程顔を見せないので胸騒ぎがして、共通の友人に連絡を取り安否確認に行ってもらった。
    〇 共通の友人が、大家さんに訳を説明して部屋のカギを開けてもらい死亡を確認した。
    〇 訃報を知って、即、ご遺族と警察に連絡をしました。
    〇 その後、警察が来て司法解剖のため、遺体を警察署に運んでいった。
    〇 翌日、ご遺族が警察署に赴き部屋の惨状など説明を受け、遺品整理が急務であると知り、地元で  はないことから、知人へ連絡をしてきたとの事でした。
    以上の経緯を聞いた後、知人が徐に『遺品整理の費用はどの位かかるのですか?』と聞かれたので、『お部屋の現状と、住まいの立地条件を確認しないと算定はできません』とお答えしました。

    知人の店は、5席程の住居兼の小さな店舗で、営業日ともなれば、連日常連さんで満席です。
    何故か、その日のその時間だけは、誰も訪ねてくることはありませんでした。

    Vol.1