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Archives of activity reports of Matsurinushi

活動する<まつりぬし>の記録

各地で活動している<まつりぬし>の
これまでの活動報告をまとめています

  • Vol31

    とてつもない大きさの巳の神が 
    非常に怒っている
    :後編

    2026年2月11日
    陽光山 国主淵 
    水神様 龍神様 岩神様
    祭祀

    続いて 烏帽子岩神様に向かいて

    7.烏帽子岩神様からの御言葉
     西岡 充子

    【烏帽子岩神様の御言葉】

    烏帽子岩 
    との
    名もありし
    日々も
    とうに
    色あせて
    今にし 在らめ

    松にやどりて
    白鷺の
    河面に光の
    照りはゆる
    そのまばゆきに
    見惚れては
    そのひとときの
    神の御姿

    われ
    時を忘れじ

    人の良しなに
    たえうることも
    すでに なき


    8.烏帽子岩神様の意を受けて
    西岡充子

    【烏帽子岩神様の意を受けて】

    人にありて さらに
    その身の程を
    知りゆかん

    幾年(いくとせ)の
    地の意は
    計り知れず

    ただ そこに
    弥栄のしるしを
    尊みて
    ともに
    あらんことを

    これより
    新たに
    養い(やしない)
    つちかいてまいります

    申す

    個々に その痛みについて 向き合い祈りを。


    〇行器 御三神様からの  御言葉を受け取る
        三木ますみ

    「御国について  人としてどのような 国にしたいのか」と 問われました。

     


     

    23日の『遠隔による光の送り』に向け

    国主淵
    人身御供ならびに 水難の事故に遭われた方々として『命の書』に 登録をさせていただき、光に包まれていただきたく『光封』の準備をさせていただきました。


    ●この日(2月11日)の朝 神武天皇より 御言葉を頂戴致しました。

    神武天皇
    2026年2月11日
    建国記念の日

    あらたまの
    ひのもとの ちぎりを
    もちて

    人の身の
    なほひ(直霊)の ひかり
    たまゆらに

    すぎこしの
    時ぞ
    きたりなば

    あおひとぐさの
    さちわいを
    ふして
    ねがいつ
    あめがした

    おおひて
    ひと(一)の世
    つくらめ

    神武天皇 御言葉
    【解説】

    日本の国は大きい経験(戦争)を経て あらためて 原点に立ち返ろうしている。
    民との約束事であるからな。

    人間が 生きて何かを成せる時間とは その魂の奥の神の御魂が輝く時であり
    それは天において 
    まばたきのように一瞬の
    賜物にあるぞ。

    思考の呪縛が開かれ
    人たる内の
    神の光が輝ける時が
    ようやく訪れる

    どれほどに
    待ち侘びたことであろう

    日の本の民の
    世界の民の
    本来の幸せを
    切に
    願ってやまぬ

    大いなる天のみはからいのもとに
    ひとつなのである


    このたびのまつりぬしの 祭祀
    人身御供という慣わしは 日本全国にあり この地域だけのお話ではありません。

    その地を治める者の意志のままに 力の弱い者の命を持って 作り上げてきた国作り。
    その悲しみが 大きく癒やされるほどの 今を生きる私たちの生きる姿とは。

    深く知れば知るほどに まつりぬしという形を持って尽くすことができること とてもありがたく感じます。

    祭祀が済み はい終わり!ではなく そこで学んだことを 日本に住まう人と 共有することを持って ようやく このたび向き合った 命の尊さに対し 役割を果たしたと言える気が致しました。

    祭祀をもって そこから始まる
    実感として 学ばせていただきました。

    ●これまでの活動報告はHP:まつりぬしの活動報告 https://matsurinushi.com/category/report/ にてご覧いただけます。

    の報告:
    Vol31
  • Vol30

    とてつもない大きさの巳の神が 
    非常に怒っている
    :前編

    2026年2月11日23日24日 祭祀
    貴志川 国主淵

    【背景】
    紀の川市貴志川町 大国主神社には
    奇祭と言われる「大飯盛物祭」があります。貴志川の国主淵にまつわる伝説がありますが 大国主神社が建立される以前 川に棲まう主を鎮め 雨乞いのための人身御供が行われておりました。
    御歳7歳の女の子 と決まっており その年の人身御供として選ばれたという証は 矢がその家の屋根に刺さっていたと…。

    嵯峨天皇がそれをお止めになり 神社を建立され その後 餅を捧げる「大飯盛物祭」となったと伝えられております。

    【祭祀が行われることとなりました経緯】

    2025年 年末に「国主淵を取り返しのつかないことをしてしまっている、
    そのため とてつもない大きさの巳の神が 非常に怒っている」

    と 地域の方を通じて 教えていただき あらためて真摯に 心を手向けることとなりました。

    国主淵は 龍宮の入り口とも言われており 烏帽子岩、大理石の岩などが作り出す景観と水の美しさなど この地の年配の方々の幼少期の体感と共に 記憶の中に 今もその美しい風情が残っています。
    ただ、そのふるさとの美しい景観を 次世代の子供たちに 届けることはできませんでした。

    当時、政府から助成金が入り その助成金の使い道として 国主淵に 吊り橋と遊歩道を作ることとなりました。

    クレーン車にて岩を削った際、一升瓶の底ほどの太さの白蛇様を あやめてしまい その結果として クレーン車を扱っていた人は亡くなり その後もずっと 水難で亡くなる人が 後を絶たないということです。

    これほど 自然界から発信されている聲に 耳を傾ける者はいなかった。
    「あの場所 気にはなっていた」と言う人も多いのです。
    ただそれ以上 地域に警鐘を鳴らすなど 行動として一歩を踏み出す者はいなかった。

    私たち人間は 八百万の神に どれほど取り返しのつかないことをしてしまっているのかを あらためて 深く知っていくこととなりました。

    このたびのまつりごとは その地の神々様の痛みをわからせていただき、また その地のかなしい慣わしに向き合い 深いお詫びと 誠意を尽くすため 私ども一同の心を整えていくことから始まりました。

     


     

    2026年2月11日
    陽光山 国主淵 
    水神様 龍神様 岩神様
    祭祀

    【国常立尊様より 心得ておくこととして】

    陽光山を中心とした
    地の生命の循環(めぐり)を 無残な形で人間が絶って久しい場所

    日本の地に溢れる姿のひとつ
    「日本の型」として申す

    “まつり”を行う筋が違うておる
    (地元の祭の形に対して)

    幾度となく
    人命を持って指し示した水神、龍神の聲を聞くこともせず

    聞いたところで
    その場凌ぎ
    何事も変わることなく
    今に至る

    大元に目を向けずに
    あったこの地の歴史に
    向き合わねばならぬ時

    大きくは
    かつての
    文明のひとつの姿を
    閉じる

    神 
    何を導かんとするや

    新しき日の本 
    何を立てる

    岩戸開き
    成るか 否か

    どう真向う
    しかと見極めてゆけよ

     


     

    日時:2月11日(水)
       11時〜
       (雨天決行)
       建国記念日

       祭主  西上 佳予子
        (口上、祝詞の奏上)
        西岡充子
        (特に 岩神様の御言葉)
        高田弘子
        (降りた御言葉 歌)
        ※このことに限らず 

    サポート
    国主淵 青山 三保
        鳥羽 里美
        村上まゆみ
        片家友紀子
        若﨑 晃子

    行器  御三神  
        三木ますみ
        
    【式次第】

    1. 場を清める
      塩 もしくは秘蹟水

    2. 祈りの場として整ったことを確認

    【国主淵に】


    3.口上 西上佳予子

    【御口上】

    この地に在します
    大山祇神(おおやま巳のかみ)よ
    海の神(わだつみのかみ)よ
    国津の神々よ

    つつしみて申す

    この地の御姿(みすがた)を
    つくり たもうた
    大いなる年月に

    今ここにありて
    身の程の知らずを
    伏して
    伏して
    お詫び申す

    天(あめ)
    地(つち)

    その意を合わせたるをもって
    うましえる
    この地球(ほし)の
    いのちのめぐりを
    絶ちて
    久し

    いにしえよりのことわり
    忘れたるは

    人の心の
    あさはかに
    つきたると
    誠心(まことごころ)に
    うけいれ
    今 ここにありまする

    神々の御心
    今再び
    われらと共に
    在(あ)らせ まつらくを
    願いてやまぬ

    この胸のうちより
    神々にこそと
    伝う(つとう)こと

    伏して
    伏して
    願いつつ
    祈りたまいなん

    神々の意
    のりませて
    新しき御代(みよ)の
    始まりを
    賜われまする時を

    かつての人心にあらぬ
    誠心より
    願いたてまつります


    4. 祝詞 西上佳予子

    【祝詞】 

    光のりませて
    伝うことを
    おろがみて
    ひびかせたもや

    いくえにも
    重ねたる
    コト トキ に
    その御心
    はかりしれず

    何 もちたとて
    あたわざること
    三重に八重に
    きざみおりて

    なおも
    新しき御代
    この地に
    うましえんこと

    意にそいて
    ゆかんとす

    かんながらたまちはえませ
    かんながらたまちはえませ


    5.神々とのご交流 高田弘子

    6.個々に感じられるままに

    国主淵が お鎮まりいただけ、お許し賜り
    龍の宮居への扉(地の生命の循環)が開かれましたら

    続いて 烏帽子岩神様に向かいて

    この度のご報告は、ここまでとさせていただきます。
    次回は、国主淵に吊り橋と遊歩道を作るために烏帽子岩を削った際、白蛇様を あやめてしまった まさに その岩神様に祭祀をさせていただきます。

    ●これまでの活動報告はHP:まつりぬしの活動報告 https://matsurinushi.com/category/report/ にてご覧いただけます。

    の報告:
    Vol30
  • Vol29

    ある魂の軌跡

    ある日の夕方、帰宅途中に前方からこちらに向かってくるレッカー車の荷台に乗せられた軽自動車が目に入りました。
    フロントガラスが粉々に割れボンネットはペッタンコに潰れており、そのすぐ後もう一台同じように大破した軽自動車が運ばれて行くのをみて、正面衝突の大事故が起きていた事を知りました。
    そこから交差点を一つ通り過ぎたところで、警察の鑑識班の現場検証のため脇道に迂回するように促され田舎の細い田んぼ道へ入り、そのままその日は無事に帰宅しました。

    事故現場は子どもの通学路でもあり、話によると下校の時にはもう既に道路は封鎖されて私と同じように田んぼ道を抜けって帰ってきたとのことでした。
    学校もいくつか近くにあり、小学生から高校生まで田舎にしては子どもがよく通る道でもあったので、後日お清めに行くことにしました。

    というのも以前住んでいた街でのお清めの経験があったからです。
    近所に年に数回、車がひっくり返るような大きな交通事故が起こる交差点があり、信号機がついても交通事故は全く減らない交差点でした。ひどい時にはひと月に2回も凄惨な事故が起きていました。
    私が子どもの頃から長年そういう状況でしたので、事故が更に次の事故を呼んでいるように感じることもしばしばありました。
    マツリヌシの資格を取ってから、交通事故が起こると必ずその交差点をお清めするようにしていました。(そこも子どもたちの通学路だったからです。)
    それからだんだん交通事故は減り、引っ越すまでの数年間は事故がなくなりました。
    県下にいる他のマツリヌシも同じように、交通事故や不審者情報があると自宅の近くや子どもたちの通学路などをお清めして回っていたので、その効果は皆実感していましたし、子どもたちを守るために自分たちにできることがあるというのは非常に有り難かったです。
    といことで今回も交通事故現場をお清めすることにしました。

    ちょうど週末に出かける際に現場を通るので、その時にお清めをすることにしました。
    現場のひとつ手前の交差点から、あたり一面濃い霧に包まれ幽界のような空気を感じた。晴れていて日差しもありものすごく明るいのに、あたり一面霧で視界は15m〜20m程。霧が出ていたので迷いましたが、現場に着くと大丈夫そうだったので以前と同じように積司塩を使いお清めをしました。とりあえずここまでと感じたので、出かける目的地へ向かって車を走らせました。
    すると車の中が物凄く生臭くなり、まるで生魚を積んでいるかのようでした。
    しばらく浄化上昇しながら運転していると匂いは消えました。

    その日の午後、出先でネットニュースをみてこの事故で亡くなられた方がいることを知ったのですが、なんと近所の初老の方でした。帰り道また現場を通るので、現場少し手前のコンビニに車を停め、光の送りをさせてもらうことにしました。一緒にいたもう一人のマツリヌシと二人で光の送りの御言葉を読ませていただきましたが、響くものがなく固まっているようでした。突然の死で亡くなったことを受け入れられないようにも感じました。私にできることが思い浮かばず、どうして差し上げるのがいいのだろうと思案に暮れていましたが、「あっ、何田さん!」と頭に浮かびました。

    何田さんも雪崩に遭い突然命を落とされた方です。そして、亡くなられた後も生前と同じく世の為人の為にずっと働き続けていらっしゃる方です。突然亡くなった何田さんなら故人のお気持ちをくみながら、お話しできるのではないかと思い「何田さん、お願いします。お力を貸してください。」と心の中でリフレインしていました。
    するとどこからともなく何田さんの雰囲気を感じ、固まっていた故人がもたげた頭をすーっとゆっくり挙げられたように感じました。動きが出てきたことをもう一人のマツリヌシと確認し、あとは何田さんにお願いをしてその日は帰路につきました。
    そして村内放送で、翌日の午前中がお葬儀だと知りました。

    翌日私は庭先に出て、農作業をしながら「故人の方が思いを残すことなく無事光の方を目指されるようになりましたら、何かお知らせをいただけないでしょうか。」とお願いしながら、作業をしていました。
    お天気も久々の快晴でひだまりの庭先でしたが、気温は数度。先日降った雪が土の上には残り、まだまだ寒い1月。

    急に春風のように暖かい風が頬を撫でました。

    ふと手を止めて庭先に目をやりましたら、そこには青い空に絵描いたような白い雲、桜の花がチラチラと舞いながら黄色や白の蝶々がふわりふわりと飛んで、美しく光る里山の春景色が見えました。
    その間ずっと心地よい春風があたりを包みました。時間にして1〜2分くらいのことだと思います。最後に故人がふる里を見に来られたんだなぁ、無事に終わったんだな(お葬儀も故人のお気持ちの整理も)と感じたのです。
    あまりに心地よい春風と、あまりに美しい景色に感動のあまり涙が出そうでした。

    その後、春風が吹くことは一度もなく、目の前には色味の少ないいつも通りの冬の庭先が広がるだけでした…。

    無事に終えられたことを、天と何田さんに感謝いたします。

    ●これまでの活動報告はHP:まつりぬしの活動報告 https://matsurinushi.com/category/report/ にてご覧いただけます。

    の報告:
    Vol29
  • Vol28

    宇佐神宮参拝のご報告

    このたび、まつりぬし一行は、御三神像奉納事業の祈願ならびに日本神界の御働きをあらためて拝し、その流れを正しく受け取るため、宇佐神宮へ正式参拝をさせていただきました。
    本参拝は、昨年11月に遡る一連の流れの中で、必然的に導かれたものと感じています。

    これまでの経緯について:堀尾談
    昨年11月、強い促しのような感覚により、前島氏とともに大神神社へ赴き、みそぎをさせていただく機会を得ました。その後、同じ奈良の地に鎮まる橿原神宮へも参拝させていただきました。
    この行程は、日本に初の女性首相が誕生し、そのご出身地である橿原の地にお立ちになる神武天皇様の御働きが、今まさに日本において動いているということを、市井の皆様へお伝えしていくプロジェクトを進める上で、極めて重要な意味を持つものであったと、後に深く理解するに至りました。
    その流れを受け、12月に入った頃より、次は宇佐神宮へ行かなければならないという思いが、日増しに強くなっていきました。
    御三神像奉納事業に携わらせていただいているにもかかわらず、私自身がこれまで宇佐神宮に正式参拝したことがなかったことも、その理由の一つであったと思われます。

    年末の慌ただしい時期であり、物理的には困難も予想されましたが、積会長のお取り計らいにより参拝の機会を賜りました。
    堀尾・前島・若崎・村上のまつりぬし4名にて、12月27日早朝に出発、28日に帰着という行程ではありましたが、無事に宇佐の地へと向かうことが叶いました。

    2025年12月28日 宇佐神宮参拝 記


    泉神社(宇佐市辛島泉)参拝
    当日朝8時、宿泊先を出発し、まずは宇佐市辛島泉に鎮座する泉神社へ徒歩にて参拝いたしました。
    駅館川の西側、国道10号線沿いに鎮座するこの神社は、前夜宿泊したホテルのすぐ近くにあり、朝の澄み切った空気の中での参拝となりました。境内は開放的で、拝殿・幣拝殿・本殿が整然と並び、本殿脇には北辰殿、さらに社名の由来となった泉が静かに水を湛えています。
    古くは、この泉より万病に効く霊酒が湧き出たと伝えられ、「酒井神社」とも呼ばれてきた由緒ある社です。 朝の爽やかな風と相まって、訪れる者を静かに迎え入れてくださるような、清浄で温かな空気を感じる参拝となりました。

    宇佐神宮参拝
    泉神社を後にし、車で宇佐神宮へ向かいました。朱色の大鳥居をくぐった瞬間、胸の奥が高鳴り、晴れ渡る空の下、心身が自然と整っていくのを感じました。
    宇佐神宮は、全国に広がる八幡信仰の総本宮であり、八幡造と呼ばれる独自の建築様式を今に伝えています。 神様が昼と夜で御座所を移されるというこの構造は、非常に象徴的であり、目に見えぬ世界の理を静かに物語っているように感じられました。

    上宮参拝
    上宮へ向かう参道では、ちょうど朝日が差し込み、柔らかな光が境内を包み込みました。静寂の中で光に満たされたその瞬間、自然と背筋が伸び、深い感謝の念が湧き上がりました。宇佐神宮の作法に則り、二拝・四拍手・一拝にて、一之御殿、二之御殿、三之御殿を順に参拝いたしました。
    境内では、お正月を迎える準備に励む若い巫女の方々の姿も見られ、清新で瑞々しい空気に満ちていました。

    下宮参拝
    続いて下宮を参拝。「下宮参らにゃ片参り」と伝えられる通り、上下両宮をお参りすることの大切さを、あらためて心に刻みました。
    下宮に鎮まる八幡大神様は、日々の暮らし、農業、産業など、人々の営みそのものをお守りくださるご神威をお持ちです。古来より、国民一般の祈願が捧げられてきた理由を、肌で感じるひとときとなりました。
    参拝の折、若崎さんには折々に言葉が降りてくる様子もあり、今回の参拝が単なる訪問ではなく、御神意に導かれた重要な行程であったことを、私たちだけではなく、まつりぬし協会一同で深く共有出来ればと思いました。

    若崎さんへ降りて来た御言葉

    幾つかある中でこの度はこの御言葉を、若崎さんに代わりお伝えします。

    【住吉大明神】
    2025年12月28日


    水の流れ 道なりて
    皇后に うつしたる
    波の音
    水の音

    沖津
    中津
    辺津

    海に道あり
    川に道あり
    社(陸)に道あり

    トキ越え
    宇(そら)の つくりごと(システム)
    すべからく
    整いたる

    宇祭(佐)の地より
    天地(あめつち)の 神まつり

    水を えよ(知性)

    水は流れに従い、道となって天地と人を結ぶ。
    海・川・陸のすべてに道は通じ、沖津・中津・辺津の働きは、時を越え、宇(そら)の秩序(システム)としてすでに整えられている。
    宇佐の地より、天地をつなぐ神まつりは進められ、人は水の理(ことわり)を知り、そこに宿る知性を受け取るべき時にある。
    ― すべては、整えられた流れの中にある―


    本参拝を通じていただいた気づきと御縁を、今後の御三神像奉納事業、ならびに日本の精神文化を次代へとつなぐ活動へ、誠実に活かしてまいりたいと思います。
    今後とも、協会員の皆様と心を合わせ、まつりぬしの活動を共に進めていけましたら幸いです。
    ●これまでの活動報告はHP:まつりぬしの活動報告 https://matsurinushi.com/category/report/ にてご覧いただけます。

    Vol28
  • Vol27

    橿原神宮参拝のご報告

    新年のご挨拶が遅くなりましたが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
    昨年末は、十一月中旬より仕事に追われる日々が続き、師走の二十日で漸く一段落がついたところに、ご葬儀のご依頼を賜りました。また、そこに合わせたかのように孤独死による遺品整理のご依頼も重なり、昨年はまつりぬしで終わり、今年はまつりぬしで始まる二千二十六年となりました。
    ようやく心を整え、投稿に向き合える状態となりました。
    日本まつりぬし協会による『御神像奉納事業』に合わせ、『御三神像様:神武天皇、神功皇后、応仁天皇』からの御言葉に導かれ、昨年11月橿原神宮へ、12月宇佐八幡宮へ、ご参拝並びに活動祈願に行ってまいりました。そのご報告をさせて頂きます。当日は早朝より三輪神宮、石上神宮、橿原神宮の順番でご参拝させて頂きました。橿原神宮の中門をくぐると、得もせず涙が溢れ出ました。それは大きな御旨に抱かれるような気持と畏敬の念のはざまで我を忘れた一瞬でした。そして本殿を前にご参拝が遅れた旨をお詫びし、これからの活動祈願をさせて頂きました。暫し目を閉じたたずむと、爽やかな風とカラスの鳴き声で、この度のご参拝の趣旨が成就したと感じた次第です。(あくまでも私の主観です)
    橿原神宮を後にした私たちは、その後大和郡山市にある高市早苗総理の事務所を表敬訪問しました。事務所の玄関を開けると正面には神棚を挟み右側には高市さんの大きなパネル、左側には松下さんの同じサイズのパネルが張られてました。2025年10月に自民党総裁となった高市早苗氏は、松下幸之助翁が創設した松下政経塾の思想を受け継ぐ政治家として注目されています。松下翁は、精神的教育活動と経営者としての豊富な経験を通じて、「国家も企業と同じく経営が重要である」と考え、自らなら“無税国家”を実現できると語っていた人物です。
    松下翁の背景には、日本の神々──とくに石清水八幡宮の八幡神から受けた影響があったとされ、国家運営を“神意に添った経営”として捉える独自の世界観がありました。しかし明治以降、日本の国家運営は西洋型の教育体系を通じて育った人材が中心となり、江戸以前に連綿と続いてきた「領国経営」的な知恵が失われていったとも指摘されています。
    いま多くの日本人が、「従来の日本のままでは生き残れない」という漠然とした不安と転換期の気配を感じています。その中で、松下政経塾で理念教育を受けた高市早苗総理の登場は、松下幸之助翁が描いた“国家を経営する”という思想を現代政治の中で体現し得る人物として期待されています。
    つまり、高市氏の台頭は、松下翁が目指した国家像──無税国家を含む大胆な国家経営の再構築──が現実味を帯びてきた象徴ともいえ、いま日本が迎えている大きな転換期を示すひとつのサインと見ることができます。
    日本に住まう私たちひとりひとり、この国の成り立ちをあらためて、”知り、培い、繋げ”再生してゆく、この時に、日本の再生の道に尽力する、という御意思を手向けられ、
    橿原の宮、宇佐八幡の宮に 神気を宿した御神像として立たれようとされています。
    機を同じくして、橿原の地より、高市早苗政権が新たに立ち上がり、
    この日本が、どのような時代を迎えようとしているのかは、伝わってまいります。

    この様な背景を理解し
    一般社団法人日本まつりぬし協会 理事 前島秀幸は、御三神の意をもって御神像奉納事業を進めるとともに、日本初の女性総理という、歴史的転換期に希望を持つひとりとして
    『転換と再生』の道に、尽力します。
    本年が、皆様にとって光に満ち、心が真に望む道が開かれていく一年となりますように。 そして、神々が育んできた「まつり」の心が、より多くの人々へと広がっていくことを願っております。
    2025年のご縁に深く感謝し、本年も変わらぬお付き合いをお願い申し上げます。

    ●これまでの活動報告はHP:まつりぬしの活動報告 https://matsurinushi.com/category/report/ にてご覧いただけます。

    Vol27
  • Vol26

    市房山頂上に、光の柱が立ちました。

    二千二十五年十一月三十日から一泊二日で、九州は熊本県と宮崎県にまたがる市房山(千七百二十・八メートル)に向かいました。参加者は、約二十名で、熊本県側にある市房山キャンプ場の駐車場に集合し、キャンプ場から市房山四合目にある市房山神宮本宮を目指して、山を登ります。片道一時間で、往復二時間の山歩きになりました。一方、こちらとは別動隊で、三人が朝早くから山頂を目指して、すでに出発していました。

    二百名山に入る市房山の特徴は、大杉と原生林です。
    四合目までの登山道には、幹回りが六メートルを超える大杉が点々とありました。その樹齢千年に近い大杉を、精神学協会会長・積哲夫先生が、立ち止まって「コンコン・・・」と幹を手のひらで叩いてから、通っていきます。
    理由をお聞きしたところ、この行動は、長い年月、眠っていた杉を起こすためだったそうです。
    コンコンコン・・・優しく掌(たなごころ)で叩いた音が、周りの空間に広がっていきました。

    全行程の三分の二ほど登ったところで、まつりぬしの若崎晃子さんが受け取った【御言葉】を、若崎さんに替わって代理の二名が奏上しました。

    【御言葉】



    つつしみて
    申し上げます

    この地の
    おぼしめす
    悠久(はるかなる)時 の
    ことわりの

    ここに 今
    証すれ とて
    まいりたもう

    時を超え

    このヒノモト
    新たなる時を刻む

    ひ いずる クニの
    まばゆく立ちゆく
    さまの
    いとも うるわしき

    つつしみて
    この創造の御言葉を
    この地に
    響かせたもうや

    全身全霊
    光の器とて
    響かせ給ふ



    少し様子を見てから、もう一度、奏上しなおすことになりました。

    「言葉に光と入っているから、今度は太陽の日が差すところに出て、もう一度やってごらん」
    と積哲夫先生。

    そのアドバイスに沿って、日が差す場所で【御言葉】を言上げすれば、山中の様子が変わりました。荘厳な雰囲気が現れて、言葉を受け取っていただいたのがわかりました。

    ほどなく、険しい登山道の四合目にある市房山神宮本宮に到着しました。
    御祭神は、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・邇邇藝命(ににぎのみこと)・木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。これは、この地が日向神話の重要な舞台であり、特に高千穂峰や霧島山と関連が深いことから、天孫降臨(てんそんこうりん)の神々をお祀りしています。
    この度は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)様が待ってくださっていました。
    ひとりずつ、丁寧に参拝をしてしばらく休憩していると、市房山の頂上を目指した三人も、頂上に到着したと連絡が入りました。

    市房山山頂に、光の柱が立ったことを確認してから、山頂でもふたたび【御言葉】を奏上してもらいました。

    この、市房山登山は、十月二十六日に光の柱が立った安達太良山(福島県)と対をなすものとなり、「最終知識」に書かれている、日高見が安達太良山、日向が市房山になります。日本に、二本の光の柱が立って、一つの時代が終わり、世界は新しい展開を迎えることになります。

    写真提供:松野寛治さん・村上まゆみさん

    ●これまでの活動報告はHP:まつりぬしの活動報告 https://matsurinushi.com/category/report/ にてご覧いただけます。

    Vol26