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まつりぬしの原点(アーストラスト)

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Archives of activity reports of Matsurinushi

活動する<まつりぬし>の記録

各地で活動している<まつりぬし>の
これまでの活動報告をまとめています

  • Vol25

    まつりぬしのお清め(4名にて) ご報告 後編

    前回 投稿したお話の“総論”の件に言及し
    お伝え致します。

    【命の書】
    祠にいる存在が『光封』におさめられる数日前。
    今回の流れの中で『命の書』にご登録された女性のお言葉を聞かせていただきました。

    ○○様 女性

    このようにして
    語れること
    本当にありがたいです

    私は大きな迷惑をかけしてしまいました。
    その残念さに 潰れていきます

    よくみえてきていて
    でも
    わかれば
    わかるほど
    どうしようもない
    感情に苛まれます

    ある時(命の書の登録された時)
    ふーっと軽くなって
    自分のしたことが
    許されるというのではないですが

    息ができる というような….
    自分をちゃんとみれるというか…

    居場所?が変わったというか
    変えていただけた

    やさしさとか あたたかさを感じます。

    火をつけた私が 私をおそってくる
    ずっと ずっと
    恐怖という表現がいいか
    助けて ということも
    通らない
    (音が壁に吸収されていく感じ)

    自分が作ったもの(意識)
    に閉ざされる
    悲痛なものの中で ずーっといる
    狂いたくても
    狂えない
    でも
    私の選んだこと(意識)

    なさけないです
    こんな自分で終わったことが
    本当に 悔しい

    執念のような
    執着のような
    おぞましいかぎりです

    自分がぬぐいさること
    できなかったものって
    なんだったのでしょうか

    本当に申し訳ない

    ※(ここで 稲荷の祠にいる存在が
    意識上に入り込んできました。
    その存在の言葉を聞いたのち)

    あー 魔的なものだったのですね
    私は異常だった

    今 気がついても 後の祭りですね

    もし生きている時に
    このようなことを知っておれたら
    自分を
    そんな呪縛から
    解いていけてたのでしょうか

    蒔いたものが
    大きすぎてくるしい

    でも今は
    ありがたいことに
    感謝が出てくる
    それがうれしい

    ありがとうございます
    ありがとうございます

    しっかり正します………

    『命の書』に名前を登録されるということが どれほどのことなのかを
    その方のおられた層 命の書に登録されたのちの層 を体感し 実感致しました。

    【祠の存在】
    ※エネルギーが強いので 言葉そのものの記述は省きます。

    この女性との交流中に あらわれた祠の存在は ある意味 たくさんの気づきを与えてくれました。

    始終 人間をあざけりわらい してやった 簡単なことだと。

    内にある種 種が現象化する。

    彼らは 自分にある負のスパイラルの元凶に 気づかず生きるものを取り込み 不幸への道案内する。

    人間に備わる五感からの感情というセンサー。
    それをたくみに利用し 地獄的に現象化し 彼らのエネルギー源をどんどん大きなものにしていく魔界のシステム。
    その一員となるか ならないか 自分次第。

    祠の存在がなぜ 稲荷の祠に鎮まることになったのか。
    施主様が 知り合った霊能者さんが 祠の稲荷の依代を出し 自分の正しいと思う慢心で入れ替えたのです。

    以降 起こる現象が悪化することになり より施主様は 複雑に色々なものに縋る形となりました。
    より一層 霊能者さんの示すままに 動かれることとなりました。
    このことに まつりぬしのひとりが 時折 警告をお伝えていたのですが。

    もちろん その霊能者さん自身も、その環境も悪化していき、あまりに よくないことが起こる現象をみて 自分が信じた霊能者さんのもとから 離れていく人が続出したそうです。

    その方々が 今後 自分の内にある種に正しく向き合われることを祈ります。

    【恩師の御言葉】
    祠の存在を 『光封』に納めていただいたのちに 恩師にお聞きしたことがあります。

    工事が終わったら 『光封』から 存在の依代の御札を出すとなっています。

    単純な疑問で
    「光封から出されると また大変なことになりませんか?」と。

    恩師はこのように言っておられました。

    『もちろん 出てくるよ。
    出てくるけれど 前みたいな力は なくなってるの。
    『光封』の中で光に浴している間に 浄化されて変わっていると思うよ。
    どんな風になるかは わからないけど ずいぶん違っているんじゃないかな。』 と。

    排除ではなくまつりあげる。
    というのは まつりぬしの心得の基本としてわかっています。
    強いエネルギーである存在に動ぜずに 丁寧にまつりあげる清らかな姿勢。
    教えていただきました。

    大切な御心の形をお示しいただきました。

    ●これまでの活動報告はHP:まつりぬしの活動報告 https://matsurinushi.com/category/report/ にてご覧いただけます。

    の報告:
    Vol25
  • Vol24

    2025年10月23日 快晴
    まつりぬしのお清め(4名にて) ご報告

    ◎鬼門封じ ◎敷地の清め ◎稲荷祠 光封

    ご依頼のお宅が 道路整備のため 
    鬼門にあたる箇所が削られることとなり、鬼門封じのご相談があり、ご依頼を受けて、このたびの運びとなりました。

    敷地に入る前に【土地神様にご挨拶】
    ⚪︎⚪︎家を 住わせたまいたる土地神様に 申し上げます。
    本日 ⚪︎⚪︎家敷地の祓い清め 並びに鬼門封じを執り行わせていただきます。
    マツリヌシ4名です。 よろしくお願い致します。

    この地の 
    豊かなるを
    平らけく安らかなることを 
    祈りつつ
    光あれませと 
    願いつつ
    始めさせていただきます。

    【1- 鬼門封じ】
    *準備
    ◎『方違御守護』の御札2枚
      積事務所にご相談
    ◎それを立てるヘラ
      積司塩、秘蹟水

    鬼門にあたる箇所(今回は道路整備で削られる箇所の端2箇所)に盛り塩。
    続いて
    全体に積司塩→秘蹟水をまいて 清めたのちに
    『方違御守護』をつけたヘラを 端2箇所に立てる。
     
    《言あげ》
    『ここはもはや 鬼門にあらず。
    この旨 御理解賜りますようお願い申し上げます。』

    ご了承得たことを確認して 終了。

    【2- 敷地の清め】
    ◎積司塩 秘蹟水

    7周回り 確認
    そのあと 敷地の気になる箇所を清める。
    敷地全体は完了致しました。

    【稲荷祠、光封】
    今回の案件で 最も重要な箇所で
    まつりぬしを執り行う前日に、積氏の御指導と主導にて進めました。

    ⚪︎⚪︎家何代か前に祀られた稲荷の祠ですが、
    すでに別の存在が入っている状態でした。
    本来のお稲荷様は いらっしゃいません。

    この存在がもたらす影響は大きく 一族を絶やしていくようなエネルギーを持っているのです。
    魔界システムのひとつです。

    この存在には 道路拡張工事が済むまで「光封」におさまっていただきます。

    ○ 名刺大の御札に「この祠にいる存在」と書く。

    ○祠に その御札を一旦おさめます。

    ○その御札に 祠にいた存在が移ったのを確認し 封筒に入れ「光封」で閉じます。

    ○あらためて 祠におさめます。

    この時点で 場が軽くなり 揺らいでいたエネルギーもおさまりました。

    【総論】
    現在の家屋は 以前 放火で全焼し新たに建てられました。
    この放火の因となったのは 「色欲」です。
    今回 我を忘れ 魔界システムに身を投じてしまい 火を放った女性の言葉をいただきました。
    その女性の言葉を受けとっている時 祠にいる存在があらわれ 諸々 伝えていきましたので 

    次回のご報告にてお伝え致します。

    の報告:
    Vol24
  • Vol23

    フィリピン・マバラカット慰霊の旅
    (後編)

    弟から慰霊が終わった翌日に、「無事に終わった」という報告もかねて、1枚の写真がラインで送られてきました。
    マバラカット東航空基地、神風特攻隊の慰霊碑の前で撮った弟の写真です。
    無事に終わった安堵感で写真を眺めてみると、慰霊碑の後ろに八方に広がる雲が
    気になりました。何の雲かなと思った瞬間、涙があふれ止まらなくなりました。
    そして、感謝の言葉が下りてきました。

    まことにもって ありがたきことでございます。
    心より御礼申し上げます
    長きに渡り この地にとどまり この地を守ってまいりました。
    新たな時代の到来にまことにもって 皆と喜ぶものでございます
    ひかりある方々と共に 我ら この地よりあがり ハタラクものでございます。
    積殿の光、心より御礼申し上げます。
    ただただ、感謝の想いでいっぱいでございます
    お国の為、日本の為、ささげた命がこんなにも癒され 光を賜ることが出来
    ただただ 喜びに満たされて居ります。
    我ら一同 日本の未来に向かいハタラキをもって 積殿に感謝申し上げます。

    海ゆかば~~~
    みずきよく 流れゆくものなり
    この地を飛び立ったもの代表 関(行男)


    何かな?と感じた八方に広がった雲は、弟の報告にあったように日本の旭日旗の雲だったのでしょう。精神界のハタラキはいつも見事です。

    今回の慰霊の旅は、義をもって日本を愛し、守りぬいた方々のたましいが、積会長の光によって癒され、きよめられたことを確認し、両親から引き継いだ戦争にまつわる姉弟の物語も戦後80年の節目に感謝をもって閉じることが出来ました。
    弟が慰霊碑の前で感じたように負の歴史さえも、精神界(積会長も含む)のハタラキによって、きよく流れゆくものなのでしょう。

    海ゆかば~~
    みずきよく 流れゆくものなり



    ●これまでの活動報告はHP:まつりぬしの活動報告 https://matsurinushi.com/category/report/ にてご覧いただけます。

    Vol23
  • Vol22

    フィリピン・マバラカット慰霊の旅
    (前編)

    戦後80年の節目の年として
    2025年 9月13日にフィリピンのパンパンガ州マバラカット市に行ってきました
    目的は、旧海軍航空隊マバラカット東航空基地跡にある慰霊碑です。
    ここに、積先生の許可を頂き、名代として英霊の方々にご挨拶し、まつり主の一員としてこのフィリピンの地に積水、積塩にて礼を尽くし、祈ってまいりました。
    マバラカット東航空基地は、敷島隊をはじめとして数百名の若き特攻隊員が帰らぬ命を奉げた歴史があります。又、日本人には、あまり知られていませんが、日本の神風特攻隊(敷島隊)として初めて飛び立ち成果を上げた地であります。そして、ここは、縁あるフィリピン人の方々によって創建された慰霊碑です。

    私にとってのフィリピン
    私は、フィリピンの友人知人も多いのですが、生前、母が「遠い親戚の叔父さんが、戦時中、赤十字の病院船に乗っていて撃沈されフィリピンの海に沈んでいる」とよく話をしていました。
    また、父の弟が、少年兵として特攻隊志願でしたが、出撃せず終戦を迎えました。

    まつり主として歓迎されたエピソード
    ○この時期、フィリピンは、雨期の真っ最中で、天候が危ぶまれました。
    当日は曇り空でしたが、青空が見え隠れするまでに回復、同行した知人のフィリピン人がびっくりするほどでした。
    ○マバラカット市は、マニラ空港から北方片道90㎞もあり、慰霊碑のある所は、 私も含め、案内のフィリピンの友人3人も全員初めての走行。
    アラヤット山が見え、「もうそろそろかな・・・」と思った矢先、「もう着きましたよ」と女性の声が聴こえました。
    びっくりして、進行車の右窓をのぞくと、コンクリート造りの神社風の鳥居が見えたのです。
    慌てて、車をUターンしてもらい現地に無事に到着。
    案内役の運転手も、苦笑いしながら、なぜわかったのか首をかしげていました。
    ○日本で、検索をかけると最近は門が閉じられているとの情報もあり、地域の身分証明のある知人に案内を頼んでいたのですが、門は、開かれていて、現地は私達だけでした。
    ○最後に3名の協力していただいた3人の方々と記念撮影をしたところ、バックの空が、日本の旭日旗の上部の放射状に見えたことが不思議でした。

    5名の戦士
    フィリピンのレイテ沖海戦が始まり、最初の特攻隊の戦士は5名でした、
    昭和19年10月21日に、最初、出撃されたのですが悪天候の為に標的が発見できず帰還しました。この後、2回、3回出撃され帰還の繰り返しでした。
    そして、10月25日早朝、敵機同部隊発見レイテ沖にて戦死。

    敷島隊長 1 関 行雄 大尉 23歳
         2 谷 暢夫 少尉 20歳
         3 中野 磐雄 少尉 19歳
         4 永峰 肇 飛行兵曹長 19歳 
         5 大黒 繁男 飛行兵曹長 19歳

    命の書の登録
    帰国後、悪天候の為2回、3回と出撃と帰還を繰り返し、何度も死の極限の一点を想い、覚悟を持って散って行かれた5名の方に、敬意をもって、命の書に登録させていただきました。
    命の書に登録するにあたり、不思議だったのは、導くようにフルネーム、生年月日
    YouTubeで検索すると1回でヒットしたのですが、その後、何度か検索したのですが
    見つかりませんでした。
    また、急に愛媛県にある関 行雄大尉のお墓がアップされ、心に響くものがあり、パソコンの前でおもわず手をあわせました。そして、辞世の句も、メッセージのように見つかりました。

    まつり主の一人として また戦後日本に生まれた一人として感じたこと
    この出撃された慰霊碑の前で深く頭を下げ祈っていると、積先生が、すでに光へと整えて下さったのか・・・すでにいやな波動はなく、歴史がただただ平然と過ぎて行くのを感じとりました。
    最後に、私が心に感じた二人の辞世の句を載させていただきます。
    下記の二人の句には、若くしても、永遠の生命(たましい)の尊さを心の奥で知ってい
    たからこそ、
    我々の礎となって出撃してくださったのだと感じ、心より感謝いたしました。

    □ 南溟(なんめい)に たとへこの身が はつるとも いくとせ後の はるをおもえば
    永峰 肇 様 
     
    □ 身はたとひ 機艦もろとも 沈むとも 七たび生まれ 撃ちてしやまん
    谷 暢夫 様 


    ●これまでの活動報告はHP:まつりぬしの活動報告 https://matsurinushi.com/category/report/ にてご覧いただけます。

    Vol22
  • Vol21

    広島で、まつりぬしによる海洋散骨研修会を開催しました
    【後編】

    【後半】は、現場でのまつりぬしの実技講習になります。
    研修会が終了しての結果を先にお伝えすると、「いつ海洋散骨の本番がきても、今日の流れを思い出したら、まつりぬしを務めることができます」という、自信に満ちた感想が寄せられています。
    ——
    さて、【前半】の続きです。
    厳島神社の参拝を終えて、宮島のマリーナに帰ってきました。
    いよいよ、実際に海洋散骨の手順に従って、参加者による、まつりぬし実技体験を始めます。

    まずは、式次第に沿って乗船前の説明と進行を、司会者の守本敬子さんが行います。散骨式の開始の言葉と、それを受けて、参加者八人のまつりぬしの代表として、若崎晃子さんが乗船前に口上を奏上しました。

    厳島神社ご祭神の宗像三女神様へ
    【 まつりぬし口上 】

    かけまくも 鎮(しず)まりましたる 厳島(いつくしま)の神々よ

    平(たい)らけく 安(やす)らけく 大(おお)いなる 海原(うなばら)に

    人たる身の いとも 小さきを 尊(とうと)み うやまいて

    潮(うしほ)の 満ち引きに 迎えられ

    送られたる 生命(いのち)の もといの
    幸(さい)わいに

    つつしみて 感謝申し上げ奉(たてまつ)ります

    今日の良き日に 生命の悦びを 全(まっと)うしたまいたる
    (故人のお名前)様の散骨の儀を

    厳島(いつくしま)の神々の 見守り賜(たまわり)たる中
    執り行わせ賜(たま)いて

    生命(いのち)のめぐりの 麗(うるわ)しき
    潮(うしほ)の波に 乗せ
    大海原(おおうなばら)をかけめぐりさせたもうや

    いとしき ひとつの証(あかし)と いだきて 
    むかえいれたまいたることを
    きこしめして と
    かしこみ かしこみ 申(もう)す

    続いて、散骨に向かうキセキセカンド号の船霊様の祓い清めが行われました。

    船霊様の祓い清めの
    【 祝詞 】

    船霊(ふなだま))の大神(おおかみ)の御前(みまえ)に おろがみまつりて

    かしこみかしこみ 申(もう)す

    御神徳(ごしんとく)の大いなる みちゆきに 
    この大海原(おおうなばら)をおさめたまいて

    行く先々(さきざき)の平(たい)らけくを みまもりたまい
    幸(さい)わいたまい

    この尊(とうと)き儀の宣(の)りを おさめたまいたるを
    こいねがいて かしこみ 申(もう)す

    そして、まつりぬしが一足先に乗船して、船上に供えられていたお酒を、船の周りを一周しながら、海中に撒いていきます。この清めの儀式が終われば、散骨の参加者が乗船し、指定の海域に到着すると、まつりぬしの祝詞が奏上されます。

    まつりぬしによる進行の流れ
    【 祝詞 】

    このち に かえりたる
    このもの の
    やすらかな ねむり を
    このち にて

    みとどけ たまわん

    ウミより いでて
    ウミへと かえる
    ひとのみすがたの
    もとたる ところ へ
    いま ふたたび
    そのみ を かえします

    【 言葉 】 「皆さま、どうぞ、ご散骨ください」

    ねがわくは このものの
    いきた せいを
    たしかなものとして

    このち に きざみ
    ゆくるさきの めぐりたる
    その みなもと へ
    ふたたび たどりつかん ことを
    このもの に かわりて
    祈ります

    【 言葉 】「散骨の終わられた方より どうぞ御献花 お別れのご挨拶をお願い致します。」

    【 終わりのご挨拶 】「皆さま 以上をもちまして、(故人のお名前)様の散骨式を 滞りなく終えさせていただきます。ありがとうございました。」

    まつりぬしの挨拶から始まり、【 まつりぬし口上 】【 祝詞 】【 言葉 】【 終わりのご挨拶 】までを、参加しているまつりぬしが一人一人順番に、定位置に立って通しで行いました。とくに祝詞は、まつりぬしの意思がきちんと、亡くなった方と天を、光でつなげられるようにと心がけて、祈りを通します。

    天と地を繋ぐことの大切さ。
    研修会に参加したまつりぬしの方々は、大きな気付きをいただいて散会しました。

    Vol21
  • Vol20

    広島で、まつりぬしによる海洋散骨研修会を開催しました
    【前編】

    二千二十五年十月十二日、広島でまつりぬしによる海洋散骨研修会が実施されました。
    研修会の行程としては、JR広島駅に集合して、一般社団法人日本まつりぬし協会認定の送り船、キセキセカンド号が停泊している廿日市市の港までを、車で移動しました。
    港について出航し、まずは安芸の宮島にあるマリーナへ。上陸後に徒歩で移動し、厳島神社へ向かい参拝させていただくことになります。その後、マリーナにもどり出航してから宮島の神域の境界になる海域へ移動し、船上での海洋散骨の式を、八人のまつりぬしにより、実際に流れで行ってみました。

    それらの「まつりぬしによる海洋散骨研修会」を、前編・後編の二回に分けてご報告いたします。

    【前編】は、安芸の宮島にある厳島神社へ、まつりぬしとしてご挨拶にいったことのご報告になります。

    観光客として宮島を訪れるときは、定期便として行きかうフェリーに乗船して、島に渡るのが一般的ですが、今回は十一人が乗船している大型クルーザー・キセキセカンド号で島に渡りました。初めて、クルーザーに乗船した人がほとんどで、二階席に上がって舵を取る船長・弓場英治さんの横で、目の前を横切っていく定期フェリーを見送ります。海の約束事として、フェリーなどが走行している場合は、そちらが優先になり、自家用船は走行の妨げにならないように停止して待ちます。

    港を出てから三十分ほどで、宮島のマリーナに到着しました。
    当日は三連休の中日でしたので、行きかう定期フェリーはほぼ満員の状態でしたが、個人所有のクルーザーが停泊する予約制のマリーナは閑散とした雰囲気です。そこから、三十分ほど歩くと、厳島神社の海に浮かぶ朱色の鳥居が見えてきます。
    マリーナの位置の関係で、厳島神社の後方部分へ出てきたのですが、まつりぬし、ひいては精神学を学ぶ者として、神社へのご挨拶には二つの決まりがあります。

    1, 神社にある正門の鳥居から、ご神域へ入らせていただくこと。(裏からはNGです)
    2, 正門の鳥居で、きちんと自分の名前を声に出して名乗り、神様にご挨拶をすること。(小声でもいいので、きちんと声に出すこと)

    まつりぬしとして、それらの作法を守って正門の鳥居からご神域へ入らせていただきました。

    最近、日本全国の神社には、外国からの旅行客がたくさん訪れています。日本建築の粋を集めた神社仏閣は人気で、当日も世界各地からいらっしゃった人であふれていました。参拝にも長蛇の列なので、十月だというのに夏日に近い高気温のなか、おとなしく並んで順番を待ちます。

    【 厳島神社 】
    厳島神社のご祭神は、
    市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
    田心姫命(たごりひめのみこと)
    湍津姫命(たぎつひめのみこと)
    の宗像三女神さまです。

    天照大御神(あまてらすおおみかみ)と素盞鳴尊(すさのおのみこと)が高天原(たかまのはら)で剣玉の御誓(うけい)をされた時に御出現になった神々で、御皇室の安泰や国家鎮護、また海上の守護神として古くから崇信をうけられています。
    現在地を選んで社殿を建てたのは、推古天皇御即位の年(五百九十三年)と伝えられています。その後には、安芸守となった平清盛(たいらのきよもり)が篤く崇敬し、仁安三年(千百六十三年)に寝殿造の様式を取り入れた御社殿に修造しました。清盛の官位が上がるにつれ平家一門のみならず、後白河(ごしらかわ)法皇の御幸、高倉上皇の御幸があるなど、多くの皇族・貴族が参詣され、都の文化がもたらされました。松島・天橋立と並び、日本三景として知られ、平成八年にはユネスコの世界文化遺産に登録されています。

    また一方、地球神界では、日本の政治経済、文化のすべての面で、関与してきたこちらの神格が、宇宙的な文明創造に参加するために選んだ宇津神(うつがみ)様の一柱である新しき神、【一姫(ICHI NO HIME)】としても、活躍されていらっしゃいます。

    ご縁の深い厳島神社への参拝は、心躍るものでした。
    参拝したときに、「よくいらっしゃいました」という言葉や、言葉は聞こえなかったけれども、歓迎されていたのがわかったと伝えてきた、まつりぬしもいます。

    参拝後に、マリーナに戻って、本格的な研修会の始まりになります。

    【後編】に続きます。

    これまでの活動報告はHP:まつりぬしの活動報告 https://matsurinushi.com/category/report/ にてご覧いただけます。

    Vol20